人と怖がらせない東北の幽霊話と地霊;日本霊異記(2016年7月)

よう、空石

東北支部長さんに8/06の件聞いておいたわ。すぐに返事来るやろう。
俺は前回にも言うたが仕事で無理やが。

東北の幽霊話は有名やな。俺もAsahi.comで以前に読んだが、実はかなり広範囲
に渡って知られた現象である様子:
http://matome.naver.jp/odai/2142040937271984101

が、それを実際に体験している人が身近にいるとは。ええ話やな。

日本霊異記は平安前期に編まれたが、そこには多くの仏教説話、特に日本テイス
トを感じられるような祖先崇拝や地霊文脈のものも含まれる。オリジナルは俺も
読んだことないのやが。その辺の空気を感じるよな。

奈良時代以前の、よりアニミズムや「呪い(転じて「祝い」)」や「呪詛(転じ
て「祝詞」)」がうごめく得体の知れなさ(それはお主が言うところの縄文文化
的な「something vague but to be awed」にも繋がる)を、何とか「鎮める」と
いうところに鎮護国家を主眼とした平安仏教があったと巧く説明したのは山折哲
雄(精神的故郷が岩手)であった。そのバージョンの仏教が鎮める対象とした地
霊の空気を、やはり東北は色濃く持っているのかも知れない。故にこそ、人々は
怖がらないのかもな。

辻住職の「仏を置きたい」ってのも、護符的と言おうか、地霊と共存するという
感じがする発想で非常に親しみやすいな。「外的から守る」という名目ではない
からこそ、そこに調伏的な明王などは置かれないのやろうな。優しい菩薩さん辺
りなのやろうか。そのチョイスも注目したい。笑い仏のコラボができれば、まさ
に「笑い仏巡り」やしな。

徐福きたな!敬福か…。興味深い人間やな。このタイミングで俺らがこれら「大
陸筋を野心に活用した古代日本の野太いエリートたち」に出会ったのも故なしで
はないかも。広くアンテナを張り巡らせておこうぞ。何やら香しい匂いがしてき
たで…。

MONKサイトへの文章、力作多謝。今週末にアップしておくわな。