足無し禅師・道雄さんと奥様の道仙さん(岐阜・法永寺)

うれしい知らせが届いた。
お世話になった庵主さんがおられた岐阜県大垣市の法永寺から。

もう庵主さんは亡くなられている。
今年は7回忌だった。
それをきっかけに、お寺の檀家さんら有志が映画の上映会を行った。

映画はあの植木等さんが主演した「本日ただいま誕生」という庵主さんの旦那さんをモデルにした作品。
小沢道雄住職は、満州方面に出兵したが、終戦でシベリアの収容所へ。
そのときの凍傷により両足を切断。
帰国後、戦後のどさくさのなか障がいを抱えて様々な職を経験されて僧侶になった。
両足義足ながら「足無し禅師」として活躍され、隠居寺となったのが、この法永寺だった。

1978年に亡くなった道雄さんにお目にかかったことはない。
寺に掲げてあるモノクロの道雄さんのお顔は、いつも優しげに笑っていた。
生前の庵主さんには「映画がまた上映できたらいいですね」と言っていた。
なにせ、1979年の映画である。
当時の制作会社がもう存在しておらず、フィルムや版権を誰が持っているかわからなかった。
それを道雄さんと同じ山梨県の出身という奇特の方が「ふるさとの誇りを思い返そう」と
映画の版権を持つ会社と交渉して、お寺での上映にこぎつけた。

映画のネタとなった自伝本の再出版も手がけた。
庵主さんの悲願でもあったので、感謝しかない。

会場の法永寺につくと、もう上映が始まっていた。
映画は70年代の作品なので、昭和の雰囲気を色濃く伝える。
終戦直後の庶民の生活苦も描いている。
身体を失った兵隊さんの「お乞食」や旅芸人の一座などは、いまはなき光景だろう。
小沢さんの人生だけでなく、庶民の貧しさやたくましさの描写も印象に残った。

上映会が終わると、参加者のフリートークとなった。
皆さん思いのある方。当たり前だが、みな生前の道雄さんの思い出を語っていく。
みな「優しくて良寛さんみたいに、子ども好きだった」と懐かしむ。
寺で育ててもらい、結婚の世話までしてもらったMさんは「なんて言ったらいいのか…」と訥々とされる。 言葉にはならなくても、彼女の道雄住職とこのお寺への思いがヒシヒシと伝わってくる。
なかには「シベリアで苦労されたのだから、シベリア出兵の遺族の法要も行っては」と言われる方も。
主催者は再出版の本を「戦争だからこそ、ロシア語に訳して、ロシアの方にも読んでほしい」と提案された。
いろいろみなさん考えられている。


私はこの寺に来ると、慣れない庭仕事を任され、奥様の道仙さんに「もっと上手に切れないか」とか言われたことを思い出す。(もちろん悪気はない)
寮母さんをされていた庵主さんは、誰にも気兼ねなく話し、家族のように平等だった。
道雄さんは、そんな庵主さんに惹かれたのだろう。

いつも写真を掲げている小部屋に行くと、道雄住職の義足が展示してあった。
古ぼけた義足が、暖かげな陽光に包まれてる。
何度もお寺に来ているが、初めて見るものだった。
奥様の庵主さんはずっと隠されていたのか、それは今となっては知るよしもない。