花と酒と空海(2023年4月21日・奈良県番条町)

見つけてしまった。
自称「ミニ遍路狂」の血が騒ぎそうなお遍路を!

奈良県に番条町というかつて栄えた環濠集落がある。
南北に流れる佐保川の東にそって作られた集落で、
中世に外敵からの自衛のために堀がめぐらされている。
江戸時代末期から行われているのが、くだんの「番条のお大師さん」という風習。
車1台が通れるぐらいの狭い道にひしめく約80軒の家の門や玄関で、
一斉に弘法大師の厨子が開帳されるのだ。
毎年4月21日の1日のみ。
これを逃すと来年となってしまう。
平日であったが、休みを取って、滋賀から奈良に向かった。

近鉄郡山駅から少し歩いた観光案内所でレンタサイクルを借りて、南に15分ばかり走る。
市街地を抜けると、ときおり車が追い抜いていくが、往来はほとんどない。
佐保川沿いに菜の花がゆらゆら揺れるのどかな田園風景が広がる。
小高い土手に囲まれた番条町の入り口に到着。

坂なので自転車を押して集落に入っていく。
昔ながらの家屋が寄り添うようにひしめいている。

すぐに見つかった。
家の前に、鮮やかに生けた草花とお厨子が。
のぞけば、厨子の奥にこじんまりした弘法大師がおられる。
こんなかわいいお大師さんが88あるというのだ。


通りがかりの人に声をかけると、郡山市の職員だった。

「市長に言われたので来ました」

職員さんは大変である。市長は毎年来る熱の入れようだそうだ。
なんでも朝はNHKも取材に訪れたという。
さぁ、お遍路開始といきたいが…。
困ったことに地図がない。
集落に入ったはいいが、現在地さえわからない。
歩けば札所ではあるが、標識があるわけでもないので、目指す方向も見当がつかない。
遍路中らしきご夫婦に泣きを入れた。

「よかったら、地図のコピーをあげますよ」

なんと準備がいい!
地獄に仏とはこのこと。
地図には、家の区画の中に札所の番号が振られていた。
毎年来ている彼らは勝手知ったもの。
訪れた厨子の番号に丸をつけて、効率よく回っている。
「番条のお大師さん」の先達である。
まずは、自転車を停めるか。

集落にある区画の大きい中谷酒造を目指した。
狭い集落なので、細い路地をくねくね曲がったが、すぐにたどり着いた。
玄関に杉玉がデンと飾られている。江戸時代創業という老舗の酒蔵である。
ここでもお大師さんの厨子がキレイに置かれている。
光明真言を唱えて、お邪魔した。

HPがスゴかったので、ご主人とおぼしき方にお話をうかがった。
そもそもなんで、こんな奥まったところで酒造りですの?

「なにを言ってる。ここは堺とつながっとる。港になっていたから、酒を出荷するのに便利やったんや」

イメージできていなかったが、番条環濠集落は水路で大和川を通じて上方とつながっていたのだ。
番条はもともと奈良・興福寺の荘園で、10kmばかり東には、日本で初めて清酒をつくった正暦寺がある。
こちらも興福寺の息がかかっている。番条は清酒を堺に出してもうけていたという。
ただ、今では便利とはいえないだろうが…
心配無用だった。このご当主、なかなかのやり手。
かなり前から、日本酒の市場を「これからは中国」と見定め、あちらで日本酒の販売を行っているとのこと。
先見の明で、今はウハウハなのかもしれない。
なんでも、郡山駅前で利き酒ができる出張ショップを出されているという。
そちらは「もうけというより、まちへの恩返しみたいなもの」と言われる。
話は興味深いが、巡礼した札所はまだ10もいかない。自転車を置かせてもらい、先を進もう。

近くに大師堂という建物がある。
神社の神宮寺だったという。
リックを担いだ高齢者の一団が、祈りを捧げていく。

ここには唯一、寺守をする方がおられる。

「コロナ前はお接待でお餅なんかを用意して、人も多かったんですけどねぇ」

古老によれば、昔はこの大師堂に住職が住んでいたという。
今でも続く月1度の大師講などを取り仕切っておられたのであろう。
周辺の家は向かしながらもそれなりに大きい。だたなにせ都会に出るには不便そうだ。

「子どもが少なくなってますね」

近隣の都会に出ていく人も増えているという。
そうなると、このお大師さんのお厨子やいかに?

「お大師さんは家に住む人に引き継がれていくんです。できないときには、お寺に預かってもらうとか」

だから、複数のお大師さんを祀る家もあるという。
奈良県のHPによると、ミニ遍路の起こりは1830年代に疫病がはやった際、
弘法大師を各戸で祀ったのが、始まりとされる。
言い伝えによると、引っ越しの際お大師さんをつれて行くと、牛が止まって集落を出られなくなったという。
お大師さんを家に戻すと、あら不思議。牛が動き出したとか。
それがお大師さんが、集落を出ない理由。
ご子孫は生まれたときから、お大師さんが家におられた。
お守りするの当たり前。
心地よい重責が、番条の文化を形成している。

南北に700m、東西に200mとはいえ、札所は88箇所ある。
きっちり回ると、日が暮れてしまう。
家の人に聞けば、本場四国の札所の住職がわざわざ来られて、2日かけて回られたとのこと。

すべて回るのは諦めた。
ただ、最後の88番ぐらいはと…。


40ぐらいを回って、集落の外れにある88番にたどり着いた。
女性が家から出かけるところだった。

「最後(88番)だと、来られる方も多いのでは…」

「さぁ、ほかがどうか知りませんのでね」と笑われた。

1日とはいえ、準備は大変であろう。
白百合や黄色のチューリップ、赤い花々は、おおかた近所で調達するという。
どこの厨子も、白や黄、赤など色とりどりの花が、お大師さんの生誕を祝している。
花を見て回るだけでも価値があるミニ遍路であった。

帰りは、郡山駅近くの中谷酒造のショップに立ち寄った。
酒造りで使い込まれた樽なども置かれ、歴史も感じさせるセンスある施設である。
せっかくなので日本酒をいただいた。
2階には、テーブルがあり、ゆるりとくつろげる。
ここが面白いのは、持ち込みがOKなところ。
近くの店からオーダーできるのだ。
お造りとか、まんじゅうとか、結構バラエティーに富んでいる。
時前で料理を出すより、近くの店から取り寄せる方がお互いWIN-WINなのであろう。
自転車をこいできたからか、軽い疲労とともに、酔いも回った。
幾分、詩的な気分になってくる。酒神よ、かかってこい!

フランスの詩人ランボー風にいうと

「見つかった、何が。花と溶け合う空海が」

少しキザっぽいか。こんなオチもたまにはよかろう。