空海が見た風景(2023年3月・奈良・空海寺、東大寺、大安寺)

少し気になっていた。
駅に置いていた奈良県の観光パンフである。
特集の1つに「空海がいた奈良」みたいなものがあった。
京都や高野山のイメージが強いけど、確かに奈良にもいたよな、空海さん。

そのなかに初めて知る「空海寺」というものがあった。
そのものズバリなのだが、それだけに後にできたんだろうなとは予測できる。
近鉄奈良駅から東大寺に向かって歩くと、もう観光客がわんさか。
韓国人に欧米人、ブラジル国旗を掲げたツアーガイドも。
まちが幾分垢抜けたように見える。
工事中であった県庁横は、バス乗り場が整備され、おしゃれな作りのスタバまでできていた。
そんな「ザ・観光地」の間を進みつつ、東大寺辺りで北に向かう。
空海寺は、喧噪を外れた閑静な住宅街にひっそりとあった。

唐から帰った空海が、当時の東大寺境内に自ら草庵を結んだ場所という。
空海は東大寺の別当を4年ばかりつとめていたとされる。
山門をくぐると、禅宗のような凛とした雰囲気が漂う。
本尊は弘法大師自作の地蔵菩薩の石像だそうである。
秘仏のため、本堂は閉じられたまま。
ときおり霊園のお墓に参る方が来るだけで、観光するものはなにもない。
受付に住職がおられたので、少し話をうかがった。

東大寺の末寺で、宗派は南都六宗の1つである華厳宗という。
奈良ならではという感じだが、意外に全国にもあるらしい。

「愛媛にもあったと思いますよ。旧末寺と新末寺があり、あまり交流はないので知らないお寺が多いんです」

確かに「施法寺」というのがヒットした。
私も以前、徳島で正観寺というところに行き当たり、華厳宗と聞いて驚いた。
総本山は東大寺なので、「どんな関係があるんだろう?」と思ったものである。
それが住職が言われるところの新末寺というものなのだろうか。

ふと見ると、「大和北部八十八カ所霊場」の14番札所ともなっていた。

「はい、来られた方には御朱印を授与しています」とのこと。

江戸時代から始まり、一時寂れたが、近年復活した霊場巡りだそうだ。
立派な本まで出ていたので、購入した。
ただ、奈良市内だけでなく、天理市とか橿原市までまたがるので、歩いて廻るには難しいであろう。
どちらかというと、空海を思いながら、何回かに分けて御朱印を集めるといった趣きか。

次は空海が勉学に励んだ大安寺を目指した。
結構歩くので、昼をはさんでと思い、正倉院あたりの緑の芝生を横目に歩いていたら、呼び止められた。
新興宗教の勧誘かと身構えたが、違うらしい。

「東大寺の拝観券があるのでよかったらいりませんか」

水色のチケットを手渡された。
東大寺の境内にいたのだが、はなから東大寺には行くつもりは毛頭なかった。
それがこのお誘い。これも弘法大師のお招きと、大仏殿に向かった。
入り口に近づくほどに、観光客の声がにぎやかになる。
それより前に、この行列はどこまで続いているのだ…。
そこで「聖武講」と書かれた水色チケットが威力を発揮した。
そりゃ、東大寺を作った聖武天皇由来のお札ですから。
長蛇の列を横目に、優先入り口から待たずに入れた。

もうしばらく訪れていなかった大仏殿を目の前にして少し感動した。
春は薄ピンクの桜が満開で、無邪気な外国人観光客が自撮り棒で写真を撮っている。
確かに日本でもあまたある観光地の中でも人気があるのもわかる。

石段を登り、正面にそびえる大仏を見上げると…。
いつも期待値を下げて目線を上げるのだが、なぜか「大きい」とは感じないのである。
15mちょいなので大きいのは間違いないが、大仏殿がデカすぎるから視覚効果でそうなるのか…。
両隣の如意輪観音と虚空蔵菩薩の方が迫力あるようにも思える。
天下の大仏さんをディスってるわけではない。
そう思えるのだから仕方がない。それだけの話である。

久々の参拝だが感慨深い。
前回は、高校の時だったと思う。
大仏殿でグラミー受賞のシンセサイザー奏者喜多郎のコンサート。
はじめはミューエイジ・ミュージックっぽかったのだが、
雨の中、最後は大太鼓まで叩く圧巻のパフォーマンスだった。
後日知るのだが、渾身の力で叩きすぎて、なんと骨折していたという。
「すげぇものを見たんやな」と興奮したことを覚えている。
Wikiをたどると、やはりすげえ人だった。
9.11のときに平和のためにできることを考え、
自ら四国八十八カ所をめぐり音楽をつむぐ「空海の旅」を企画。
札所の鐘の音を音楽にし、これらはグラミーにノミネートされている。
1作目を聴いたが、鐘と雨風、川のせせらぎ、虫の音など自然を感じさせるサウンドになっている。
5作目までは出たようだが、そこからの情報は探しきれていない。
まだ満行とはなっていないのかもしれない。

東大寺で以前と違うのは、出入り口近くの廻廊にずらりと並ぶ土産物屋。
企業ロゴをパロディッたTシャツなどなかなか楽しませてくれる。
物珍しげに外国人観光客が、のぞき込んでいた。

「今は土日もなく、人が多い。中国の方が来ていなくてこれだから」

土産物屋のおばちゃんが教えてくれた。彼らが来れば、大繁盛ということだろう。
タダで入った割りには大満足で、古刹をあとにした。

ならまちで「若草カレー」なるものを食し、向かうはさらに南の大安寺。
30分歩くと、陽気もあり、汗ばんできた。
聖徳太子創建で、かつては百済大寺と呼ばれていたところから、
渡来系の香りがする古寺で、南都七寺の1つとして古来から多くの僧侶が学んだ。
その一人が空海。
寺のHPによれば、空海の剃髪の師が大安寺の勤操とされる。
そして、弘法大師が修した虚空蔵菩薩求聞持法の初伝は当寺という。
法は勤操が空海に授けたといわれている。
空海が唐に渡れたのも、彼の力もあったとされる。
また大師は、大安寺の別当にもなっている。

寺は田んぼが広がる場所にポツンと建つ。
御朱印目的らしい参拝客が少々。あとは散歩する地元の方だけ。
本堂で十一面観音、別のお堂で馬頭観音を拝んだ。
さきの空海寺で知った大和北部八十八カ所霊場の1番と2番の札所だそうである。
はからずしも3箇所をまわった。
見れば、お堂の周りに札所の砂を集めた八十八カ所巡りようのお砂踏も用意されていた。

山門を出て少し行くと、開けた空き地に出る。
ここまで来ると、地元の高校生や犬を連れたご老人しかいない。
かつて90mもあったという七重塔が東と西に建っていた。
塔の基台は、いま緑の芝に覆われてる。

空海が見た景色とは違うが、ゴロリと横になるにはちょうど良い。