車遍路雑記(2023年2月・香川の札所巡り)

2、3で限界。4つ廻った日には「自分を心底ほめてあげたい」と思う。
1日における寺参りの数をいっている。
それが半日で6カ寺である!

VIPの四国八十八箇所巡りに同行。
正直、ハイスピードの寺参りは初体験で慣れていない。
ユングがイタリアの歴史あふれる町並みを見て、昏倒しかけたというそんな感じであった。
走馬燈のように疾走する記憶の中に残った札所のイメージを記す。

①77番道隆寺(どうりゅうじ)
札所だから、弘法大師の像はあります。
でも、注目はその足下で両手を広げて歓喜する男の姿。
衛門三郎といいます。
彼は托鉢に来た弘法大師を何度も追い返し、
その報いで8人の子どもを失ったといいます。
そこで「あのときのお方は弘法大師さまだった。なんてことをしたんだ」と猛省してお遍路を思い立ちます。
だが何度廻ってもお大師さまに会えない。
逆打ちしてようやく会えた。
そのときの喜びを全身全霊で表した歓喜のポーズです。
衛門三郎が片手を弘法大師に差し出すものはよく見ましたが、ここまで恍惚の様を表現した像はない。
衛門三郎史上最高の作でしょう。

②71番弥谷寺(いやだにじ)
山寺です。山の中腹にあります。
赤い手すりの108段の階段があり、みなさん会話が途絶えがちです。
(下から行くと、500段以上あるらしい)
札所をよく知る人が「山系寺院」と「平地系寺院」の違いを教えてくれました。

「山系寺院の住職は気むずかしい人が多い」

事実は定かではありませんが、理由は多々あるのでしょう。
山寺はなにかと不便も多いのでしょう。
「里のものは苦労知らずで…」と石段を登っていると、愚痴も口をつくのか。

この寺の住職が気むずかしいのかどうかは知らない。

③73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
境内は広くないので、すぐに手持ちぶさたになります。
ですがここは、弘法大師が「虚空蔵求聞持法」を修したところと言われています。
虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える法。
記憶力が抜群によくなるそうです。
大師像は「求聞持大師」だそうです。
とはいえ、大師が行法されたのは、元の札所だった「捨身ヶ嶽禅定」。
ここから登山で約1時間といいます。

記念に手ぬぐいを買いました。

④72番曼荼羅寺


まずはこの案内板をみてください。
「さわやかな声」が気になり、QRコードをスマホで読み取りました。

ですが、なんどやっても「さわやかな声」が出てこない。
同行の2人で「う~ん」とうなりあって、ようやく合点しました。
このQRコードの裏に、「声」が出るスイッチがある。
それが今故障中で、QRコードのフリップで隠してあるということだったのです。

この謎が解けて、実にさわやかな気分になりました。

⑤75番善通寺
弘法大師が生まれたとされる誕生の寺。
とはいえ、父方の里で、母方の里には海岸寺という「誕生の因縁」がある寺もあります。
車を寺の裏にある広い駐車場に停めました。
参拝者が多い寺のために、当初は表通りに駐車場を作る計画だったそうです。
それが地元らの反対でこちらに。
皮肉なことに、表通りの人の流れがめっきり減ったといいます。
どちらが正解だったのか…

⑥76番金倉寺(こんぞうじ)
日露戦争で知られる乃木希典が第11師団長のときに、この寺で暮らしていた。
境内に「妻返しの松」というものがあります。
ご想像の通りです。
大晦日に夫に会いに東京から来たご夫人を軍人気質から追い返したという、そこにあった松です。
時代は違うので、否定はしませんが、「なんとひどい」というのが心情でしょう。
乃木将軍は、1912年明治天皇崩御の際にはご婦人と殉死されました。
これは付け加えると、乃木は1人殉死を果たし、後事を託されていたご夫人ですが、自ら後を追ったということ。
戦争で4人の子どもを失った悲しみからともいわれます。

乃木将軍より、ご夫人のことを強く思わせるかなしげな松でした。

金倉寺の夕暮れがきれいでした。「車遍路なるもの」を知らされました。
腹一杯になりました。

当方としては「空」と「海」を感じながら、とぼとぼと廻りたい…