広島に来て分かったこと、および、武術家の甲野善紀氏(2009年8月6日)

円瓢へ

まずご報告をば…。

10月に晴れて大阪に帰ることになる。最初は嫌であった広島だが、住めば都とはよくいったもの。田舎ではあるが、どこに行くにもすぐ行ける利便性とどこに行っても人ごみがないのは捨てがたいところ。今では、江戸に住むおぬしを尊敬するわ。

はじめはとっつきにくい県民性であるが、仲良くなると意外にええ人らと今では愛おしくもある。うちの親父も単身赴任で広島に来た。嫁の両親からも言われたのだが、空石家は広島に縁があるのかも知れぬな。

そこで、広島について野球以外に考えてみたのだが、やっぱりここは原爆が始まりやねんな。
文化的に価値あるものは、その際にすべて破壊された。

今平和記念公園がある辺りは、昔の寺町で寺社が密集していたらしいが、すべて吹き飛んでしまった。今日は、広島が珍しくTVをジャックできる平和祈念の日だった。仕事帰りに、嫁と慰霊の碑に手を合わせてきた。世界中の慈善団体から「フリーハグ」のわけわからん奴等まで、吸引する力がここにはあるんやね。

街の存在自体が何かを発信するって、どこか異様でもある。言い方が難しいが、いわゆる聖地に近いものなのだろう。ただ、残念なことに、今の人たち(拙者も含めて)はそのことを忘れてしまう。

広島のお寺は、他県以上に盆が忙しい。それもそのはず。原爆で亡くなった人の法事がこのころに集中するからだ。寺によっては、原爆慰霊祭的なものもしている。他県人にとり、町中で8時15分に黙祷を告げるサイレンが鳴り渡る様は異様に映る。だが、市民は当たり前のように手を合わせる。こんなことも広島に来てわかったこと。

まあ、円瓢にこそ広島を案内したかったが、多忙なおぬしゆえ、それはまた先の話じゃな。

さてさて、話は変わって、14日から休みが取れれば、江戸に行こうと思っている。これも大前提がある。弱り目の広島カープに何もなかったらということ。最近、カープのトレーナーと話をしていて、武術家の甲野善紀氏に興味を持っている。

この方の講座を受けれたら…と考えてる。

簡単に彼の現在(あくまで彼の理論は現在進行形らしい)の思想を読み解くと、こういう感じ。現代人は、西洋式体育に毒され、日本人独自の体の使い方を忘れていると問う。昔に体をねじらずナンバ歩きをしていた民族が、突如軍隊教育というものが導入され、手足を交互に振る現在の走り方が主流になった。ここが、彼の出発点で、では西洋的な体の使い方も踏まえたうえで、もっと体にとり自然な動かし方(たとえばナンバ)があるんではないか、それを極めようというのが彼の武術の要なわけです。

思想は実に示唆的で興味深いのよ。ただ、彼も著作で述べているように、体験しないとわからないところもあってな。そこで、その講座(14日)に行こうか迷ってるわけで、それに都合がつけば、おぬしとの会合もありかなと思ってる。おぬしが江戸にいればだけど。

ちなみに著作は、田中氏が書いた「匠の技」の甲野氏の章は、30分ぐらいでさわりはわかる。(他の話も秀逸!)田中氏との共著「身体から革命を起こす」は、彼の思想がわかりやすく書かれている。多田氏との共著「武術の創造力-技と術理から道具まで」は、日本刀への愛が綴られている異色の作。

円瓢がどう考えるかも聞いてみたいわ。

くどくど書いたが、一度山寺にでもこもって、ゆっくり話をしたいわ。そうそう先日、毛利発祥の地・安芸高田で清住寺というお寺で新たな発見があった。詳細は拙者のへっぽこ頭がまとまったら話すわ。

PS:この前、ひょんなことで船釣りに誘われて、メバルを釣ってきた。ビギナーズラックでいっぱいかかって、不興を買ったが、新鮮な経験やったわ。初めて魚を下ろして、刺身やら煮付けやら料理したわ。ただ、殺生やね。頭を落として、内臓を取り出す瞬間は、ホント嫌な気持ちやね。漁師が何とか塚とか作って供養する気持ちが実によくわかる。

乱文お許しあれ。

21日~24日は大阪です。ただ、21~23日は野球の試合なんじゃわ。

空石

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