摩利支天の思い出と猪の運の強さ(2006年12月)

空石よう!元気かよう!俺は元気だよう!

「…よう!」と言えば、もちろん我らがマンガ老師であるジョージ秋山の描いた「くどき屋ジョー」に出てくる憎めない極悪人である「毒薬仁」だが(…「もちろん」なのか…?)が、今も俺にとって「はぐれ雲」を立ち読みすることは、人生の悦楽の一つ。空石もまだ読んでるか?あちきと遊ばない?って、ええのう。

それはそうと、摩利支天さまかYO!戦の神様やな。「隠形」で著名なこの密教系の天部は、俺が中3のときに、真言密教にイメージのレベルではまるきっかけを作った「孔雀王」というマンガにも頻繁に登場したものよ。懐かしいなぁ。いまの密教オタクの目から読むと、孔雀王もそれほど大したことはないのやが、あの頃はとにかく興奮したことを覚えてるのう。

しかし、摩利支天が猪の神様とはこれまたおもろいな。猪突猛進のイメージと、隠形でそっと敵地に近づき粉砕するというイメージは、似ているようで結構違うような気もするが、パワフルってところで結構似てるかもな。あと、どちらも「調伏」な感じや、なんとなく。

ちなみに、今日仕入れたネタやが、猪年のときって、戦後から通じて株価が「勝ち込む」ことしかしないって知ってたか?戌や酉年もかなり強いのやが、いずれも1・2回は負けている年がある。なのに、我らが猪年だけは、「全勝」らしいで。そういう【運の強さ】ってのも、俺らの特徴なのかも知れませんな。実際、俺なんて強運だけで生きてるからな。が、運を寄せるは縁の力。縁はすなわち空であり、如来そのもの。如来とはより高き自己と思えば、「自分を表現すること」が「強運を示すこと」でもある。any problem?って感じやな。

で、俺のセガレも猪年。数え年で36歳の子やからのう。名前は今のところの最有力候補があるのやが、画数がまた俺の本名と全く同じで、吉凶が俺とそっくりという。俺よりも1つ吉数が多いのやが。「独立心が旺盛で若いうちから家族とは離れる」なんて、まさに俺の人生やったが、そのぶん家族と強い信頼感で結ばれていたから、それもよし。俺みたいに引き篭もりにはならんと思うけど。

で、「この画数やと、セガレも日本の大学には行かんで、悪いがStanfordにでも行かせるわ」と言うと、嫁は「じゃあ父親も、その前に米国の大学教授にでもなれ」と言われた。ま、それが縁ならそれもありさね。実際、この10年の間に再度数年間ぐらいは米国住まいする可能性は高い。ああ、空石には圧倒的な蛇足やろうが、セガレの候補名前は、大乗仏教の二大旗印である「慈悲」と「智慧」から取ってきたもの。

鍼灸坊さんとも会う必要があるのう。彼は今回の地獄には間に合わないのかねえ?長之坊は「もちろん参加の方向で」と言うていたので、楽しみやな。

実際、今回の俺の帰阪はほぼ、「3年ぶりの終い地獄」に参加するためだけにあるようなものでな。顧客も今回会う予定のは、通常の5件程度と比較すると3件ぐらいしかなく、それも大してMUSTではない。が、帰阪するぜ、猪年を祈願するためによう!

任せたぜ、地獄地の選定をよう、相棒!

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