P.S. その後は「地獄」不作の年が実に5年間続く…!

2004年は納め地獄はなく、代わりに俺は銀座でUKと会い、池袋では清老師と邂逅し、東京のVOWSバーを全部周って縁を繋いだ。プラス、空石の川西宅にもクリスマスどんぴしゃにてお邪魔して、宿泊までしたはず。翌2005年も、我らの凶行・納め地獄は決行されず、今度は梅田で長之坊と空石と共に、ハービス梅田で夕食を食らい、どこぞのホテルのロビーで、「ニートに寺周りさせてブログ書かせる?」みたいな話をしてたな。

こう考えると、実に【納め地獄】は2003年を最後に行われておらぬのよ!では、3年ぶりに2006年は、気合いを入れて敢行されたのか!?

でも、行かないにせよ、12月末には毎年のように空石および他の仏友と多くの時間を共有してきたということは、何だか誇らしげな気がするで、俺は。

…で、結局、2006年末は、円瓢が、たちの悪い風邪を引いてしまい、翌々月に出産予定の妻の調子もそろそろ不安定になってきたので、帰阪自体が延期されることになり、またもやなくなってしまう。

2007年が明けると月末に円瓢の長男が誕生し、GWまでは一切の地獄時間なし。が、GWに今度は空石が多忙となり時間が取れず。夏休みに入り円瓢が「魂の故郷」高野山での医療イベント参加も兼ねて帰阪するが、空石の都合と合わずに夏地獄も敢行不可に…

そうこうしているうちに、同年9月、青天の霹靂のように、空石の広島出張が発生し、ますます困難となる地獄めぐりであった…!

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