さぬきのたぬき(2022年夏)

マレーシアから2週間の予定で家族と一緒に一時帰国した円飄と合流し、
向かったのは…やはり寺である。
宿泊拠点の香川県多度津にある空海のご母堂の里にある海岸寺を早起きして出発。
愛媛県を目指した。

まずは腹ごしらえ。
高速道路に入る前、食べ物屋とおぼしき看板でハンドルを切ると、うどん屋だった。
すると、円瓢の目が見開いた。
半年前まで、コロナ禍で新たな赴任先のマレーシアに移住できず、家族共々先の海岸寺に1年と1か月逗留するはめになった男である。

「ここは地元民が絶賛する『こがね製麺所』やぞ。」

香川滞在中の初期に、川崎市からわざわざ住民票まで移した彼は、もはや讃岐の民であった。
だが一見すると、安っぽいただのチェーン店っぽい。
HPをのぞくと、東京にも出店しており、22年9月時点では全国に35店舗あるらしい。
丸亀本店には、タイのムエタイチャンピオンの男性が働いているともある。
だが、やつが言いたいのはそこではない。

「ここは丸亀本店よりうまいんやで!」

!?どゆこと?
チェーン店なんだから味付けなんてどこも同じなのでは…。

「わかっとらんなぁ。うどんを打つ人が店で違うんや。
だから地元民は、その職人が店を移ったら、わざわざついて行ってそこに行って食べるのよ」

…打つ人が変わると、麺のコシなどが微妙に違うということか…。

小生がこよなく愛する「インディアンカレー」は大阪にチェーン店が多数ある。
かつての上司は、「阪急梅田の地下が一番ウマい」と、歩いて行けるところに店があるのに、
電車に乗って、わざわざそこまで食べに行かされたものだ。
(こちらは同じルーを店舗に配るので、味が変わることはないそうだが…)

翻ってうどんの話である。
なにせ、高松高校には「高高うどん部」なる同好会が存在し、
県データによれば、人口1万人あたりのうどん(そば)店数5.6は全国1位とある。
(店数は544。人口の多い東京が4000以上と店の数ならダントツなのは仕方ない。)

ともあれ、米のごとくにうどんを食してきた円飄の舌が、地元民化していることは疑いもない。
確かに、関西でよく行く「丸亀製麺」よりはコシもあり、出汁もゴクゴク飲めるほどうまい!
(ちなみに丸亀製麺の本社は東京にあり、香川の丸亀には店舗すらない。)
朝早いのに、店には結構な人の出入りがある。
看板を見ると、朝6時から開いているとある。
起きて食べるのは、米でなくて、なによりうどん!
よほど好きなんやろな、讃岐の民は小麦粉が。

だが思い出した。うどん屋ではなく、向かうは寺なのだ。
高速をぶっ飛ばし、松山ICも超えて伊予ICで降りた。
松山の南にある伊予市に、目指す「宝珠寺」がある。
インターの南はすぐ山間部となる。
昼前なのに、木々が生い茂り、薄暗い山道を登っていく。
こうなると、カーナビはいささか頼りない。
しばし行きつ戻りつして、古びた山門に車を停めた。

参道とおぼしき道をしばらく下っていく。
人はおろか、案内もないので、はたして目指す寺があるのかどうかすら疑わしい…。
下り坂が途切れると、視界が開け、日が差してきた。
寺に続くであろう石段を見つけて、ようやく安堵した。
アスパラガスのような樹木が天に向かって伸びている。

だが、やはり人の気配はない。
テレビ番組「ポツンと一軒家」さながらの孤立具合である。
事前に連絡はしていたが、「こりゃ不在だろうな」と観念した。
だが、寺務所の呼び鈴を鳴らすと、「入ってください」と、か細い返事があった。

宝珠寺は、かの聖徳太子が伊予を訪れたときに建てた寺という。
えっ、弘法大師でなくて聖徳太子が四国に来たの?
実は知る人ぞ知るで、道後温泉の開湯も太子が関係している。

これは、鎌倉時代の新仏教の1つ、「真言律宗」の僧侶が布教に利用したと考えられる。
奈良の西大寺を総本山とするこの真言律宗は、妻帯や飲酒などで堕落した僧侶や仏教界に異を唱え、
僧侶が守るべき決まり事である「戒」の重要性を説いた。知名度は低いが、日本仏教史に大きな足跡を残したのだ。

当時、旧仏教が忌避したハンセン病患者や女人の救済、そして死人の処理を行い、教線を拡大。
ときの天皇に、荒廃した西国の国分寺や国分尼寺の再興を任され、
その過程で、この宗派の僧侶が四国や瀬戸内にも赴いている。
真言律宗は、「戒」を重んじた太子をとても大事にしており、
それゆえに、四国で太子信仰が付与されていったとされている。
寺院の全容が整ったのは7世紀という。今は真言宗「智山派」に属している。
聖観音は藤原時代の秀仏とされるが、ご開帳の時期ではない。

さて、なぜ我々はこの寺院を訪れたのか?
ここは「たぬき寺」とも呼ばれている。狸づくしの寺という。
山門では、おちゃめな置物の狸がぽつりとお出迎え。信楽焼かしら。

庫裡には「狸の間」と呼ばれる部屋があるという。

玄関をくぐったが、人の気配がない。
首をかしげながら、古くなった革張りのイスに目を向けてびっくり。
さきほど返事をくれた妙齢の女性がポツンと座られていた。

「糖尿病をわずらっていて…立てないのですみませんね。」

それは大変。お気になさらずに。
住職は法要で外出中とのこと。
この方が寺の番をされているのであった。
山寺にお一人とは、さぞ心細いことであろうに…。
庫裡の壁には、様々な狸の絵やら、置物があり、どこかユニークなたたずまい。

どこもかしこも、やはり狸づくしである。
そして、「狸の間」に通された。
壁や襖におちゃめな狸が、流れるような筆致で描かれている。

芸術のような、そして落書きのような…。
なんでも、昔の住職と懇意であった明治・大正期の「富田狸通」という御仁が、酒がほしくなると、
寺を訪れたそうな。そして酔いがまわってくると、「エイッ」と狸の絵を襖や壁にしたためた。

「これがお代じゃ!」てなことか。

酒はたらふく飲むは、襖に落書きするは、なかなか困ったお方である。
ただ、洒落ているところもある。
狸が壺に入っている。これが「思う壺」だと。
人を食ったような作品だが、時代が経って寺の宝になった。
狸通先生は、正岡子規を産んだ愛媛で俳句をたしなんだ。
多芸な方らしく、大正時代に松山で誕生した「野球拳」の初代家元もつとめた。
そのかたわら狸を愛し、コレクションもしていた。
愛の結晶が、このお寺の作品なのだろう。

さて、かの弘法大師も狸とゆえんがあるらしい。
布教のためには、利口な狐より愛嬌のある狸をお連れにしたとか。
人が狸に魅せられるのは、狸通さんだけでないのであろう。
そういえば、我が家にも、何年も前に円飄からもらった狸の置物がある。信楽焼であったと思う。
酒壺と帳面をもった定番の狸は、表情がとても愛らしい。

狸が持つ帳面をよく見ると、梵字が書かれておった。
1991年とあるのでそのときに頂いたようだが、その当時から、円瓢にとって仏道は必定であったか。

さて、襖絵はよいとして、白壁は土がむき出しているところもあり、老朽化が著しい。

「でもね、狸の絵があるから修理できないのよ…」とご婦人が嘆く。

修復の方法はあるのであろうが、「お金をかけてまでやる価値があるか」と問われると、
人が来るのはまれであろうこの山寺で…と考え込んでしまうのももっともだ。
狸の智恵など、拝借できればいいのだが…。

寺を後にし、峠道を南下する。
道路沿いにあった昭和テイストの土産物屋には「日本一の中山栗」と大層な案内があった。

「日本一」には心ときめいたが、いま季節は夏。
目に映ったのはスイカののぼり旗であった。
後で調べると、日本三大栗の産地とのこと。
土壌が抜群で、寒暖差が大きい気候条件の良さから、大きな栗ができるそうだ。
江戸時代には大洲藩から将軍家に献上されたという逸品であった。
秋には訪れたいものだ。

駐車場から急な石段が続き、そこを登ったところが、次に目指す大興寺らしい。
まずは中国風の竜宮門が目に入る。

インターホン越しに来意を告げると、ご住職が出てきてくれた。
我々は、少し後ずさってしまう。
きれいにそり上げた禿頭に鋭い眼光。
だが、ネコを抱いておられた。
優しくなでる手が少々怖い。大阪ならこのままで、●くざ屋さんのたたずまいである。
当方らも、四国札所でもない山寺を訪ねる中年の書生風。
先方からすれば、こちらも十分に怪しく映るか。

ところがどっこい、こちらが純粋なる寺の愛好者だとわかると、熱量の高い住職のトークが始まった。
見どころは、竜宮門に描かれた「鏝絵(こてえ)」である。

鏝絵とは、左官職人が使う鏝で立体的に龍や雲などを表現した超絶アート。
うねりながら食ってかかってきそうな緑の龍は、豪華絢爛かつ軽やか。
角は実際に動物のものを使うなど、繊細に作り込まれている。
失礼ながら、田舎職人では到達できない技術のようにみえる。

「大内家につながる長州大工の技術よ」とご住職。

大内家とは、中世から戦国期に中国地方から九州まで勢力を伸ばした守護大名もしくは戦国大名である。
本拠の山口は「西の京」と呼ばれ、栄華を誇った。
でも、その大内家がなぜ四国に?
住職によれば、この寺は大内家の本拠だった周防国の住職により、1645年に建立されたという。
その際に、腕利きの大工も連れて来られたのであろう。

「大内家は貴族化してな、弱くなって滅んだんよ…。」

長州は毛利家がイメージされるが、その先代覇者、大内家の手による寺院も多い。
実質最後の支配者となった大内義隆は仏教を保護し、ザビエルとも面会し、教会の建立を許すなど
開明的な盟主だった。そんな姿勢に隙があったのか…。
皮肉にも、1551年に寵童としてかわいがっていた家臣の陶晴賢に討たれた。
陶は宮島で毛利元就に討たれ、中国地方は毛利の世となっていく。

鏝絵に戻ると、実は昭和の作なのだという。
ネットをたぐると、「長州大工」というのは山口県の東の外れにある周防大島が出身とある。
得意な技術を持っていた彼らは、
江戸時代から昭和にかけて、宮大工や船大工として愛媛や高知に出稼ぎに行った。
周防大島は瀬戸内海に張り出しており、四国は船でたやすく往来が可能だった。
愛媛県は今治や大洲にも、長州大工による社寺建築が存在するという。
大興寺もその1つであろう。
住職はさらに興味深い話も披露してくれた。

「実はな、こんな山あいにもっと大きな寺院があってな。そこには薩摩の島津家の家紋が入っている」

大内家の次は、島津家ときたか。
南に車で1時間ほど行くと、龍澤寺という古刹があるという。
創建は鎌倉時代で、室町時代に鹿児島の島津家当主の長男が出家して再興。仏法を広めた。
…というのは表向きの話だ。
細くなった住職の目がギラリと輝く。

「実はな、島津家が天下に打って出るために、忍びの者を養成しおったんじゃ。」

長編小説にでもできそうな話である。
こちらの寺も長州大工による建築があるという。

翻って、大興寺。
本堂には総漆で5mはある立派な駕籠(かご)が置かれていた。
担ぎ棒には美しい螺鈿の装飾がほどこされている。

「大洲藩の姫様が輿入れで使ったもので、困った藩主が住職に買わせたんだろう」

興味深い話は尽きないが、われわれには先もある。
丁重に再来を約して、次の寺に向かった。

目的地は大洲にある。山から今度は海岸線に。
よそ見運転は禁物だが、穏やかな瀬戸内海のドライブには心癒やされる。
道路に平行して小高いところをJR予讃線が走っている。

確認はできなかったが、「海が見える駅」として有名な下灘駅がある。
高台から海が一望できるフォトジェニックな無人駅は、映画などでよく使われた。
キムタクのドラマ「HERO」や寅さんの「男はつらいよ」などなど。
私が印象深いのは、切符1枚でどこまでも行ける「青春18切符」のポスター。
誰も居ない真っ青な海の見える駅で「僕は日本のどこかにいます」のフレーズ。
目的もなく「旅に出たいなぁ」なんて寅さんのように思ったこと頃が懐かしい。
瀬戸内の海は広くて、穏やかで、人の様々な思い出が漂っている。

午後3時をまわったころだろうか。
早く出たわりには、もういい時間になっている。
最終目的地は、瑞龍寺という臨済宗寺院だ。
海岸線から集落にカットイン。みかん畑が続く生活道を登っていくと、駐車場に至る。
振り返れば、海と地平線だけ。

この地で2004年の映画「世界の中心で、愛を叫ぶ」が撮影された。
突っ込みどころはあろうが、一本気な青春純愛映画である。
原作者の片山恭一が宇和島出身ということで、ロケ地はほぼ愛媛と香川。
寺では海が一望できる段々状に広がる墓地が使われた。

なぜここが選ばれたのかはわからないが、住職に話を聞くと、撮影はそれなりににぎわったという。

「長澤まさみさんの出世作で、当時それほど知られてなかったけど、これで売れてね。」

ファンが撮影場所に押しかけたというから、知る人ぞ知るぐらいの人気はあったんだろう。
当時は高校生ぐらいか?
お寺がロケ地になることはよくあるが、観光寺ではない寺院が選ばれるのは喜ばしい。
映画のヒットもあいまって、その後は若者の参拝が増えたのだという。
コロナ禍前には、外国人も多かったらしい。

沖合に小さな島が見える。
青島という。
「猫島」として知られ、島民人口が一桁に対し、猫約200頭のネコ大国だ。
狸の次は猫である。

日本ではほかにも猫が多い島は存在するが、猫密集度で群を抜くのがここだという。
それを目当てに観光客が押し寄せる。
外国人にとっても「猫島」は魅力だったらしい。
ただ船でしか渡れないため、荒天で欠航となると、
「どこに行けばいいの?」とツーリストが路頭に迷う。
そこでこのお寺が紹介されるのだという。猫さまさまではある。

「せっかく来られたんですから」

若住職が、本堂横のお堂の扉を開けてくれた。
藤原期に彫られたという、柔和な表情をした千手観音さんがおられた。
優美な姿に引き込まれそうだが、繊細に彫られた花弁もすばらしい。
いつもは4月の祭でご開帳となるそうだ。
よきご縁をいただいた。合掌。

昔の町並みが残る大洲市街地とは離れているので、観光客の姿はない。
88霊場の喧噪とは無縁の、のんびりとした寺院である。
ただ、住職は別の寺院で座禅会を行っており、盛況という。
なんでも、お寺を盛り上げるための勝手連メンバーが40人もいるらしい。
ご住職の努力もあいまって、人が集まってくるのだろう。
勝手な話だが、応援したくなる寺院であった。

さて、狸で始まった寺参りなので、狸で終わろうと思う。

宮澤賢治の処女作といえる「蜘蛛となめくじと狸」というけったいなタイトルの童話がある。
獲物を獲るために、せっせと網をかける蜘蛛、
善人のふりをしてカタツムリを食べてしまうナメクジ、
顔を洗ったことがないという、念仏を唱えながら、ウサギやオオカミを餌物にする狸が出てくる。
「注文の多い料理店」もそうだが、この人は基本的にダークファンタジーがお好きなようだ。
賢治は3者(匹?)について「地獄行きのマラソン競技をしていた」と語る。
全員悪人なのだが、彼にとっては、宗教をかたる狸が一番悪人のようだ。
狸にとっては不名誉なことである。

人を導く狸もいる。
3年ぶりに開催された滋賀県の「大津祭」。
先導の出しの上には、狸がおられる。
雨模様でご丁寧に黄色の合羽を着ておられる。

江戸時代に始まった大祭は、町人が狸のお面をかぶって踊ったのが始まりという。
それが「西行桜狸山」の曳山に受け継がれた。
以来狸の曳山は、祭りの守護神として、
「くじとらず」で未来永劫先導を努める栄誉を付与されている。

われわれも狸に導かれ、見どころ満載の寺院たちを巡ることができた。
さすが、弘法大師が連れ立ったことはあるぞよ。

多謝。