リベンジ遍路(2022年6月)

1カ月ぶりの京都は仁和寺である。
「リベンジ遍路」なる言葉があるのかは知らぬが、
捲土重来を期して、戻ってきた。
先月は雨で寺の裏山で開催される「88カ所ウオーク」が中止であった。
打って変わり、6月5日は気持ちいいぐらいの晴天である。
山門には「本日開催」の朱文字が踊っている。

仁和寺の受付で「道場破り」との心持ちで「ミニ遍路です」と一言。
入場料を払わず、堂々と玉砂利の参道を突き進む。
ミニ遍路参加者は、無料で境内を通してくれる習わしなのである。
紛れて本堂や五重塔などを見学するのは、御法度ということでもあろうが…。
観光客に交じって修学旅行生の姿も多いように思える。
マスク姿が痛々しいが。

中門をくぐると、右手にテントが見える。
ここが受付。500円でスタッフが緑色の小冊子をくれる。
開くと88カ所の寺の名前と、本尊があり、各所で押すスタンプのスペースがある。
古風な作りながら、よくできた冊子である。

立てかけてある杖は「ご自由に」ということであろう。
奥にある本堂を左に折れて、西門を出る。
閑静な住宅街を過ぎて、ミニ遍路の出発地へと向かう。

1番札所には、すでに参加者が集まっている。
みな登山のような服装。
足下は、総じて高機能そうなトレッキングシューズ。
気合いのほどがうかがえる。
順次スタートしていくので、参加総数はわからないが、100人はいるかしら。
参加者に従い、うっそうとした遍路道に入っていく。

日陰がちだからか、山肌にはシダ植物が多い。
前回は一人でこの山に入ったが、少し気味悪かったりもした。
だがこの日は、ご婦人らや若いカップルが和気あいあいと歩いて行く。
甲高い声が遍路道に明るく響き渡る。

各札所には、小さいながらお堂がある。
設置されたスタンプを冊子に押していく。
御朱印というより、スタンプラリーの趣だが、やっているとクセになるから不思議。
みな、冊子に書いている本尊ごとの真言を唱えておられた。
小生は光明真言に統一。
各所こんな具合なので、進むにつれ、1分ぐらいごとにある札所は渋滞してくる。

登りの勾配もきつくもなっていく。
20番札所あたりから、おしゃべりよりも「ハァハァ」「ゼイゼイ」のあえぎ声が大きくなる。
成就山の最高地点は230mという。もっと登っているイメージだが…。
「疲れてきた」と思うと、ちょうどいいころあいに、眺望が開ける。
23番を過ぎた双ケ丘という見晴らしポイント。
遙か彼方には、太秦あたりのパノラマが広がる。

みんな一休みして、写真撮影会。
おっと、おじさん方は般若湯(ビール)まで手にしている。
こちとら一人なので道を急ぐ。

それでしくじった…。
次の札所まで「少し長いな」と思ったら、23番から26番までワープした。
間違った道を進んだのだ。
どおりで人の姿がなかった。
とはいえ、れっきとした道ではあるのだが…。
ここまで来ると、すべての「スタンプを」と思うのが心情。
ご婦人らが登ってくる狭い道を24まで戻り、また25、26と登っていく。

「なんたる失策であることか!」

井伏鱒二の短編「山椒魚」のせりふを思い出した。
大きくなって、岩屋から出られなくなった山椒魚の悲痛な叫びである。
ここら辺は、道がややこしい。
「こっちでいいのかな…」と首をかしげながら歩く人もいる。
私が逆走しているものだから、それを見て「間違った」ときびすを返す参加者も。
そのときは「私が間違ったので…」と申し訳なさそうにわびて、脇を通る。
それでも迷う人は迷うのである。
さらに、それに従ってついでに迷う人もいる。

「なんという不自由千万な奴らであろう!」

これまた「山椒魚」から。
自分の意志などないかのように、一斉に方向を変えるメダカの群れを眺めた山椒魚のつぶやき。
悪気はございません。ただこのフレーズが好きで使っただけです、ハイ…。

約3kmの遍路道。疲れてくると、スタンプを押す作業も単調で苦痛にさえなってくる。
そんな気持ちを先取りしてか、このウオークはよく考えられている。
24番の最御崎寺からは、本場に照らすと、徳島から高知に入ることになる。
すると、スタンプの色が青から紫に変わるのである。

これには小生もニンマリした。
続くご婦人方も「色が変わったわ!」と上品なお声。
疲労がたまりつつある遍路さんに、パワーが注入されたのであった。

32番で現れるのが、お大師さん。
なんでもないお像だが、登り続きで疲れがピークになるところで癒やしを与えてくれる。
40番からは愛媛入り。
ここからスタンプは朱色になる。
まだ半分も行ってないのかぁ…。
もう無言で歩くほかない。
冊子によると、44番手前に愛宕眺所というのがある。
「きっとすごい眺めが広がっているんだろう」と期待して進む。
矢印通りに横道に入ったが、ブッシュが続くのみ。
落胆とともに、遍路道に復帰。

ただこの辺りから下りになる。
疲労が少し軽減される。
50番を超えると「見晴らし」とだけ書かれている。
「だまされんぞ」と期待せずに歩いていると、こちらは絶景だった。
京都の中心地が一望できる。
あの山は船岡山であろうか。
シダが生い茂る単調な山道が続いていただけに、格別のご褒美となった。
期待を見事に裏切り続けるこの遍路道発案者の意図には、脱帽である。

ところで「山椒魚」の結論をみなはご存じか。
教科書では、山椒魚は蛙を閉じ込め、同じ境遇に引き込み、両者意地の張り合いを続けていたが、
最後に「本当は怒ってはいないんだ」と諦念と和解の入り交じった味わい深いラストになっている。
しかし、後年作者の井伏はこの最後の部分を削ってしまった。
岩屋に閉じ込められた山椒魚と蛙は、お互いの嘆息が聞こえないように、和解せず、朽ちていった。
ここで物語が終了。
「なんじゃ、そりゃぁ!」。当時はそう考える輩も多かったそうです。
作者がバッシングされる始末。
ただ、この作品は結構井伏の手で何度も直されているらしい。
だとすれば、相当の覚悟で彼は手を加えたはず。
本当の意図などは、若輩者の感知の及ぶところではないとも言える。
作者自身も未完の意図に迷い込んでいるのかもしれない。
ならば、遍路道発案者の意図もしかり。

遍路道に戻ろう。
53番も面白い。
崖の上に札所があり、10mほどの鎖場を通らねばならぬ。

しばしの修行感を味わえる。
65番は開けた土地にある。
護摩でも焚けそうなお堂だが、荒れるがままに放置されている。
67番から急激な下りが続く。
杖を手にするご高齢の婦人は「ここで待っているわ」と足を止める。
確かに、ヒザが笑ってくる。
本場では12番焼山寺の遍路転がしの逆バージョンか。
沼のような池に建つ68番を参り、再び69番へと登っていく。

突然だが、この遍路ウオークの意味であるが、
老朽化するお堂の整備や、台風被害で倒壊した札所を改修しようというねらいもある。
71番は以下の有様。それを浄財でなんとかしようというもの。実際にそれで建て替えた札所も存在する。

70番ぐらいを超えると、参加者の口数も自然と多くなる。
平坦な道から86番に来ると、木々が途切れ、視界が広がる。
満行の瞬間はすぐそこだ。
88番の大窪寺は、それなりのステージ。
これまでのお堂スタイルではなく、寺そのものの造りである。

最後の光明真言を唱え、緑のスタンプをしっかと押した。
充実感に満たされた。
心地よい2時間半の遍路旅であった。

受付に戻ると、まだあった。
「総本山 仁和寺」の最終スタンプとやらを押してくれる。
聞けば、この日の参加者は約250人。
コロナ前は850人も参加し、受付から長蛇の列が続いたという。

冊子のページをめくっていくと、「88ウオーク成満記念品」の説明がある。

「成満スタンプ帳5冊で仁和寺執行長の短冊」
「成満スタンプ帳10冊で仁和寺門跡の色紙」

ありがたや、ありがたや。
ただ、いただきたいかは別の話かも…。