バンコク紀行・中のあとの巻(2017年12月・ワット=サケット)

タイの寺院は面白い。
それは間違いない。
ただ、いくつもお寺をまわっていると、同じように見えてしまうのも事実。
とても文字には見えないタイ文字がわかれば、少しは由来も楽しめるのだが。
そんなときに訪れたこの寺院は斬新だった。
 
ワット・サケット
 
なにが違うって、このお寺、78メートルのこんもりした人工の丘の上にある。
ほれ。
 
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入り口にはなぜかこんお方が。
 
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日本でいう「見ざる、聞かざる、言わざる」。
日光東照宮で有名な三猿ですが、これ日本だけではないそうです。
現にタイにもあるし、東南アジアにほとんどあって、インドが出自とさえ言われている。
 
ワット・サケットは、1782年にこの名前になったそうだが、それ以前のアユタヤ王朝時代から寺院としては存在していたらしい。
つまりバンコク最古の寺院。ラーマ1世がここで散髪して、即位したという。
この丘が完成したのは、ラーマ5世のときというから、19世紀末ぐらいかしら。
さておき、チケットを買うと、地上からぐるぐると頂上を目指して登っていく。
344段をぐ~るぐる。
結構長いのだが、風があって涼しいのと、バンコクの景観が疲れを癒やしてくれる。
 
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入らなかったけど、途中におしゃれなcafeまである。
そういうテーマパーク感が、寺院っぽくなくていい。
 
ただこの寺院の丘は、タイで神聖なる地なのである。
パワースポットなどと、そんなちんけなものではない。
最上階に出ると、黄金に輝く仏塔が偉容を誇っているのだが、
その下にあのお方の遺骨が眠るという。
 
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かのゴータマ=シッダールタの遺骨が眠る本物の仏舎利(釈迦の遺骨を納めたもの)なのだ。
当然、参拝客は多い。
線香と造花を買い、そこについている薄い金箔を塔の真下にある四方仏に、貼っていく。
 
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タイでは、仏像に体の悪いところに金箔を貼って、快癒を祈る習慣がある。
日本でいえば、「賓頭盧(びんづる)さん」みたいなものです。
お寺でおばあちゃんが体の痛いところなでるお坊さん像。
ただ、タイの場合はこれが馬鹿にならない。
これがために金の消費量は世界でも上位に入る。
「World Gold Council」の2016年のデータによれば、
中国、インド、アメリカ、ドイツにつぐ堂々の5位。
日本などトップ10にも入ってないのだから、その信仰心の行き先たるやすさまじい。
まさに塵も積もれば…。
 
仏舎利はどこにあるのかは、わからないが、「ありがたや…」と金箔のブッダに手を合わせた。
 
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ついでにいうと、この仏舎利は実は日本にもある。
これが京都や奈良ではなく、名古屋の日泰寺
なんで、名古屋?
実はこのブッダの遺骨が1896年に、英国により北インドで発見されたとき、
仏教国のタイに寄贈された。
当時の国王は、ビルマ(現ミャンマー)、セイロン(現スリランカ)そして日本にも分与することを決定。日本の場合、タイの外交官が聞きつけ、押しかけたとも。
ただ寄贈が決まったことはよいが、場所をめぐって大問題に。
日本の仏教界は騒然となり、宗派間ですったもんだがあったが、1903年ようやく名古屋の日泰寺に安置された。実は京都が本命だった。
現在は、直接拝むことはできないが、近くの尼僧堂におられた方にうかがえば、
「わたしが昔修行に行っていたときは、よく拝んだものだよ」と言われていた。
なんともうらやましい。
 
わたしもこの日泰寺の近くに4年住んでいたので、なんともいえぬ縁を感じた。
 
それにしても、あの釈迦は「私の遺骨を残してはならぬ」と強く諭した。
 
時を経て、祖師への裏切りが信仰を強くしている皮肉。
 
銃で頭をブチ抜いたロックンローラーのカート・コバーンは「ブッダへ」という遺書を残している。
その最後のパートで…。
 
…it’s better to burn out than to fade away.
 
消え去るより、燃え尽きたいんだ。
ニール・ヤングの歌詞をきざっぽくひいて、この世を去った。
 
釈迦の骨は燃え尽きず、仏教も消え去らなかった。
 
釈迦は無言でバンコクの街を見つめ続けている。
 
 

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