川崎大師にて毒を吐きたり

【序】 われの名、毒坊主と申す。毒を持ち、毒を吐く。それが三毒と分かっていながらも。

The wheel of life Trongsa dzong 3 poisons

 

川崎大師は、あるサイトによれば、2013年の三が日の初詣参拝者のランキングで堂々の3位なのだそうである。なんせ、298万人が訪れる。そのこと自体にそれほど興味はないのだが、大阪市の人口ほどの人が一挙におしかけるお寺を訪れたこともないというのは、毒坊主の沽券にかかわる。そんなわけで、2014年10月、神奈川県・川崎から京急大師線なるものに乗り、川崎大師へと急いだ。

 

pic poison kawasaki station-kawasaki

 

折しも小雨が降っていた。坊主には不釣り合いだが、キャリーケースが連れ合いである。雨に濡れるのは傘があるので、多少構わないが、ガラガラを雨中に引きずるのはちと惨めな気もする。ロッカーに放りこもうとするも、定形外ときた。駅の周りに目を向けると、黄色い建物の観光案内所が視界に入った。ここで一計を案じた。

 

  「すみませ~ん」
  「いらっしゃいませ」
  人の良さそうな妙齢のご婦人が答えた。

 

  「あの、荷物を預かってほしいのですが。ロッカーに入らないので」
  「うちはそういうことはしておりませんので」

 

  それはわかっておる。そこを何とかお頼み申しておるのだ。

 

  「500円ぐらい払います。雨の中、あれを引きずってお寺までいくのは大変なんで」
  「うちはそういうことはやっていませんので」

 

 笑顔と文言は変わらない。下手に出ていたが、段々むかっ腹が立ってきた。

お寺に参拝する前だというのに、気分が悪い。意地になってきた。

 

 「もちろん、1時間もかけず、すぐ戻ってきますし、何かあっても何も言いませんので」

寺好きの当方が、貴重な時間を削って、早く戻ると最大限の譲歩で申しているのだ。だが、交渉の余地はなかった。

 

 「すみませんねぇ」

向こうはテコでも譲るつもりはない。

 

外を見よ! 今は三が日でもないのである。平日ということもあり、川崎大師に向かうのは、見回しても拙僧ただひとりではないか。この観光案内所が後続の荷物で埋まることなぞ、考えられるべくもない。このオールドレディーは、三が日の勤務で同じ目にあい、次から次に運び込まれるキャリーケースに辟易とした経験でもあるのか。そんなことは、天地神明に誓ってもない。さらに、この雨を見てほしい。寺を参ろうという善男善女が、ガラガラとともに雨に打たれる姿を想像して、何とも思わぬか? 

 

これ以上問答することに、イライラとともに疲れすら感じた。もうよい。貴女の世話になどならぬ。おぬしはお上の忠実なしもべとして、観光の案内だけしておればよい。気付けば、パンフレットすら手にしていない。雨中、大きなガラガラの音を響かせ、参道を急いだ。

 

これが、全国3位の川崎大師か?疑念をはさみたくなるほどの閑散ぶりだった。それが、むなしさも募らせた。本堂までの道は、真っ直ぐに伸びているのではない。寺の外周沿いに歩いて、ぐるっと大回りをさせられて、寺の正面参道に到着する。何度も言うが、雨にぬれながら、ガラガラの轟音を響かせながらである。

 

両脇には土産物屋が控える。ほほ~ん。でも、視線を向けようものなら、矢継ぎ早に「食べてってよ~」とくる。どのようなものがあるのか? 天下の川崎大師である。だが、あるのは『せきどめ飴』ばかり。雨だから、飴なのか。そんなダジャレはよいわ!行けども行けども、せきどめ飴の行列である。金太郎飴のように、飴屋が並んでいる。ここの名物なのは疑いない。それはよくわかる。だが、せきどめ飴って、せきを止めるための飴ではござらんのか?

 

pic poison kawasaki street

 

見ればわかるであろう。当方はせき一つしていない。かぜでもないのに、かぜ薬を買う道理はないであろう。こんな土産が、どうして名物となり得るのであろうか? 百歩譲ってやろう。かき入れ時の三が日には、かぜ気味の向きが多かったのかもしれない。じゃあ、そのときに売ればいいであろう。『バカはなんとか』という御仁は、一生この飴にありつけないかもしれない。なぜに、そんな不要きわまりない代物が、参道脇を固める主役であり得るのか。参道半ばからは、声がけをもらっても、無視してずんずん進んでいった。ガラガラで石畳に爆音を刻みながら。

 

山門をくぐっても、何の感慨も沸かなかった。古色蒼然というより、本堂は一昔前の近代建築を思わせる。無理もあるまい。この大寺は、太平洋戦争中の1945年に全焼した。よって、江戸の香りすらない。戦後日本が作り上げた近代的寺院なのだ。だから、赴きもへったくれもない。

 

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それにしても、今の姿まで再興させた手腕はあっぱれ。恐れ入る。だが、それは厄除け大師として、長年信仰し続けた庶民の力によるところが大きかったのではあるまいか? 川崎大師は関東三大大師の一つとしても名高い。この厄ということにも、拙僧は毒を吐きたい。いや、吐かせて頂きましょう。

 

「来年は厄年だから…」という中年が、大挙して押し寄せるのだろう。でも、ちょいと考えてほしい。そもそも厄除けって、何なんだろ? 当方は厄の年に、別段凶事が起こったこともない。男性の42歳と女性の33歳は体調の変化が起こりやすいから、厄年は利に適っているとされる。でも、厄なんて知らなければ、スッと通りすぎてたんじゃない。厄年に寝込んだときより、盲腸で脊髄注射を打たれる方が、辛くはなかったか。これは突き詰めていくと、バレンタイン商法ではないか?

 

チョコを売らんがために、恋人にチョコを渡す風習が海外ではあると流布する。厄年も、この年になれば凶事があなたを襲うかも知れませんから、厄払いにお寺に行きましょう。そろばんを持った坊主がささやくのだ。バレンタインは、商売だとわかっていても、何だか楽しくて、両者にとっての得もありそうだから、見逃すとしても、厄払いっていわゆる霊感商法やン。不安に堂々とつけ込んでいる。私の連れは「厄終わりに、白い四角のもを誰かにプレゼンとするといいそうやで」ときた。豆腐や饅頭の入った箱とからしい。これも負のオーラがプンプンやぞ!

 

厄除けという風習も、仏教界から見れば、丹念に練られたビッグヒットに違いない。だが、そこにあぐらをかく大寺に反逆の旗を立ててはみまいか。厄年の統計的な根拠は、巷間に言われるほどないともされる。ならば、マイ厄年なるものを作ってはいかがか? 拙僧が思うに、似た遺伝子を受け継ぐ家族は、同じ頃に病気したりするんじゃなかろうか。たとえは悪いが、自殺家系なんてものは存在する。例えば、両親や両家の両親(つまり祖父母)に凶事が起こっている年齢に相関性はないか。近似値はあるであろう。そこを勝手にマイ厄年にするのだ。拙僧なら、3歳と99歳とかにするかも。3歳なら、当人は気付かんだろうし、99歳なら、もうぼけてこちらもうやむやになるかも。そうすれば、厄除けのために、大寺に屈する必要もなくなるであろう。

 

悪気はないのかもしれない。川崎大師に来る人は、正月になれば、勝手に足が向き、厄年が近い人を見つけると、「川崎大師にお行きなさいよ」と無邪気にアドバイスするだろう。この母数自体が多くなると、当然そこにはおごりも見え隠れする。それが、頼まれもしない厄落としと、「誰が買うのか」のせきどめ飴だ。いっそ、せきどめだけでなく、10月からはインフルエンザどめ飴とかしたらどうであろう。また夫婦げんかどめ飴なども、大阪人なら買っていきそうである。2月なんかは、すべりどめ飴。受験生も天神さんから乗り換えるかもしれない。

 

参道の土産物屋さん。不買の徒を「みみちいな」と思うなかれ。それはおたくらの販売努力がないからぞ。善光寺の参道には、心躍るような幾種類もの「おやき」があった。成田山の参道では軒先で生きたうなぎが料理され、外国人観光客も釘付けになっていた。努力を怠れば、盛者も必衰。平日に閑古鳥が鳴く現状をしかと受け止め、対処すべきである。

 

pic poison kawasaki station-daishi

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