空石(37)は盲腸入院し、「不自由感」と「殺し殺される物語」を思う(2008年10月)

ようやく37歳になったわ。精神的にも肉体的にも年齢的な違和感は感じないのだが、人並みになったことがあった。

10月9日に入院した。
人生初の手術も経験した。
心配は無用。虫垂炎、いわゆる盲腸だわ。
13日に退院したので、いたって元気。
傷口の完治を待つだけや。

健康だけがとりえで、37年間生きてきたが、
初めて、体が不自由になった。
野球の最終戦が終了して、広島に帰ってきた次の日、
朝から腹痛がひどかったのだが、我慢して、取材先に行った。
もらった正露丸を飲んでも、痛みが止まらない。
あまりの痛さに耐え切れず、病院に行ったら、CT撮られて、即手術。
脊髄から半身麻酔の注射して、(吐き気がするほど気持ち悪かった)
おもっきり毛をバリカンで剃られて、
意識が朦朧とする中で、手術は終了してた。

嫁さんは何を思ったか、グロい虫垂炎の残骸をしっかり写メし、
「息子さんは無事でした」と母親にメールしてた。
よくわからん奴やわ(笑)。

そこまではよかったけど、ともかく2、3日、寝返りも打てないほど。
咳などしたら、死んだ方がましやと思ったほど痛い。
やっと、盲腸で入院する理由がわかったわ。
だって、トイレも最初は行けないんやから。
とにかく、傷口が痛いのなんの。で、そこから少しづつ、体を動かしていくわけよ。
程度は違うけど、リハビリってこんな感じかってうれしくなったわ。
(野球選手の気持ちがよくわかった)
起き上がったり、歩いたりできただけで、うれしくてうれしくて。
不惑を前に、ええ経験したわ。

とにかく、そんな調子だから、リハビリのほかは病院で読書三昧。
これがプレシャス・タイムだったわ。

映画監督の押井守が書いた『凡人として生きる』はよかった。
そこに、「オヤジになれ」という下りがあった。
平たくいうと、「オヤジは若者と違って、物事の本質、自分のすべきことをわかっている」とある。
さらに、「本質がわかっているから、泰然自若に生きていける」みたいに書いてある。

でも、現代社会は、「オヤジになることを拒否している」。
つまり、「いつまでたっても子供でいる」というところから、語り始めている。

話は飛ぶが、入院中は推理小説をよく読んだ。
まず、大沢在昌の『新宿鮫 無間人形』
次に井坂幸太郎の『重力ピエロ』、それから、松本清張の『Dの複合』
藤原伊織の『テロリストのパラソル』も。
新宿鮫とテロリストはともに直木賞受賞。
(ただし、直木賞といえども以前読んだ『容疑者Xの献身』は読む価値なし)

前出の4冊はすべてよかった。あえて筋は言わないが、共通項がある。
すべて、物語のキーマンが押井がいうところのオヤジなのである。
とにかく、執念深い。

何が言いたいかというと、短絡的な犯罪が多い昨今、
こんな小説のような事件は起こらないだろうなと思ったのよ。

そういう意味では、三浦の事件なんかは、まだオヤジの事件だわ。
怨念とか情念とかありそうで、あの終結は語るにたるストーリーだと思う。
(そりゃ、人殺しはよくないことが前提だけど、言うまでもなくな)

秋葉原の無差別殺人犯は、『重力ピエロ』の犯人には遠く及ばない。
つまり、人生を賭けるだけの犯罪ではないのよ。
結果として人を殺すなら、もっと思想がないと仏が浮かばれない。
たとえば、アキバ君なら、適当に人を殺すでなく、もてなくて童貞なのは、中学時代にAにいじめられて、対人恐怖症になったからだとか思考をめぐらせる。なら、Aを屈辱的な方法で殺したるとかね。
これなら、お互いの「殺し殺される物語」が、まだ成立するわけや。

無思想なゆえ衝動的で、無意味な殺人犯が増え続けると、
上記の本格推理小説も成立しなくなるのではと、いらぬ心配をしてしまう。
読者に「なんでこんなまどろっこしい殺し方するんかな?」とか思われて、
「人を刺すのに理由要るのか?」とか言われかねない世の中にならないか?

押井の本に「不自由のススメ」みたいな下りがあった。
入院してリハビリしてたから、よくわかった部分もある。
不自由やからこそ、自由の意味がよくわかる。

高校時代に、金がないから、俺らの立ち読み仲間やった段ジョンの菓子パン「黒糖君」1つで、ローソンで何時間も立ち読みをねばるとかしたけど、あの「不自由感」が現代社会に欠けてるような気がする。

秋葉君らは彼女がいない、友達がいないから満たされていないのでなく、
最低食うに困らない、テレビもある。好きなことできる。
こんな自由をもてあまし過ぎて、人間がおかしくなった気がしてならない。

これって、現代版の『自由からの逃走』じゃない?
翻って、俺らって、あの窒息しそうな高校生活の中、
学歴社会に唾して、本や『われら地球家族(だったっけ?)』観ながら、
成功者は、かくあるべきやとか言って、十三の鳩の交尾を眺めていたが、
あのとき不覚にも感じた「不自由感」が、今の俺らの確たる姿勢を形成したと思う。
だから、こんな年で『地獄めぐり』とか言っててもブレない。
だって、高校のときから20年ぐらい考えてきた思想の帰結やから。

懐かしさも感じながら、そんなことを37を前にして、考えました。

あと、リリー・フランキーの『東京タワー』はホンマええで。
人間ってええなって思って、本気で泣けたわ。

ぐだぐだ、書いたが、そろそろ地獄やらんとな。
松本清張の『Dの複合』を読んで、新たな発想がひらめいたんよ。
オフは暇なんやけど、出張がなくてな。大阪にも帰ってない。
広島で仕事作りんしゃいや。

待っとるけん。

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