「思い立ったが吉日」という。
土曜に行こうか、日曜に行こうか思い悩んでいた。
あまり悩まない質だが、こればかりは少し悩む事象ではある。
瀬戸内海に浮かぶ小豆島にある島遍路に行く日のことだ。
1番札所に、夏至観音がある。
正確にいうと現れる。
夏至の前後10日ぐらいに、岩に当たる光の加減で、午後3時ごろ数分だけ光の観音様が出現される。
時間が大事だが、前提として晴れでないと拝めない。
数年前から目を付けていたが、なにせ本州から離れた小豆島である。
しかも梅雨のシーズン。絶対晴れるとは限らない。
そうこうしているうちに、数年間機会を逸してきた。
天気予報はあてにしていないが、週間予報をみると、土曜は曇りだが、日曜は晴れっぽい。
決戦は日曜日と決めていた。
だが、天気は移り気である。
金曜に雨雲レーダーをみると、土曜も晴れっぽい。
ならばどうすべきか。
目的地は滋賀県から遠く離れた小豆島である。朝6時の近江鉄道に乗らねばならない。
ならば「起きられたら、行こう」と決断を保留し、目覚ましも付けず、横になった。
うとうとして時計を見ると、朝の5時。
そこで冒頭の言葉。
「思い立ったが吉日」
かなり迷った末の判断ではあるが、近江鉄道に飛び乗った。
ここからがかなりの道のりである。
近江八幡駅でJRに乗り換え。
神戸の三ノ宮駅まで2時間弱。
そこから、フェリーで小豆島。
のはずだった…。
船内用にと、コンビニでパンを買ったのが禍した。
よくありがちだが、フェリー乗り場に行くバス停が見つからない。
右往左往しているうちに、出発時間を過ぎていた。
ならば、タクシーか。
乗り場で運転手に聞くが「ギリギリ行けるかもしれないけど、自信はない」という。
こんな言い方をするときは、概して無理なのだ。
諦めて、駅前で晴天のもとピカピカと輝く白いイスに腰掛けた。
パンをかじりながら考える。
早起きしてこれとは、どういう仕打ちか…。
スマホをたぐると、小豆島には姫路からも行けるとある。
腹をくくって、姫路行きの新快速にこれまた飛び乗った。
姫路に着くと、選挙カーからの声が猛々しい。
「私たちの主張を聞いて下さい」と訴えるが、当方にそんな余裕はない。
なぜかバス停と相性が悪く、またもフェリー乗り場に行くバスは数分前に行ってしまった。
ただ今度は少し時間がある。
金はかかるが、タクシーで「フェリー乗り場まで」と告げた。
運転手は「切符を買ってて間に合わなかったら元も子もないから、直接船内で買えばいい」と助言。
フェリー乗り場までは約20分かかる。
気性が荒いのか、運転手は前の車が信号で停まるたび、舌打ちする。
そして「次のショッピングモールは土日の客で進めない日もあるんや」と言い始めた。
なかなか、海らしきものが見えてこない。
やばいのか…。
祈るしかなかった。
海が見えると、もう2分前。こんなん間に合うはずない。
だが、船はまだ出航していなかった。
とにかく、走って「乗ります!」のアピール。
それに気付いたか、係の人が待っていてくれたようだ。
すでに出航時間は過ぎていたのかも。
その場でお金を払い、船が出た。
小豆島への長旅の始まりである。
船はよい。
車と違って、ずっと運転していなくてもいいし、鉄道のように降りる駅を気にしなくてもいい。
船内を見渡すと、同行なのか、白装束を着たお遍路の団体が弁当を広げていた。
テレビでは大谷翔平の活躍を伝えていたが、子どもが無残にもチャンネルを替えてしまう。
家族連れやカップルもたくさん乗っている。1日に7便もあるのだから、利用率も悪くないのかもしれない。
小豆島というと、孤島のイメージだが、兵庫県民らには身近な存在なのかもしれない。
などと考えているうちに、ガクンとなった。
窓の外を見ると、いつの間にか見知らぬ島が近づいてきた。
2時間弱のあまり記憶のない船旅であった。
福田という港に着く。
島に降りると、白装束はあっという間に、マイクロバスに吸い込まれていった。
バスを待つ間、土産物屋に入った。
土産物はオリーブと醤油かぁ。
オリーブのソフトクリームは理解するが、醤油ソフトとはなんぞや。
夏至観音を目指すが、まずはバスで南に向かう。
道路はきっちり舗装されていて、案外旅情は沸いてこない。
空は真っ青というわけではなく、海との境目はぼんやりとしている。
「また見つかった。何が。永遠が。海と溶け合う太陽が」
唐突に、詩人ランボーの詩が頭に浮かんだ。
フランス人映画監督のゴダールの撮った「気狂いピエロ」のラストにも出てくる。
観たときは全く意味がわからなかった。
でも映像と詩が見事にハマっていて、ただ「かっこいいなぁ」と思っていた。
今、寝ぼけたような海と空の境界線を前にすると、映画でも意味などは実はなかったように思えてくる。
これが旅情というものか。
海沿いの道をぐねぐねと進み、安田というバス停で降りる。
目指すは1番札所なのだが、極めてアクセスが悪い。
バス停から洞雲山にある夏至観音まで徒歩で約1時間。
山を見上げると、鉛色の空。まさに雲行きが怪しい。
ここは楽天的に考えよう。
3時まで時間があるので、まずは腹ごしらえ。
「EAT」が店名のセンスのよさそうな食事処に入った。
扉を開けると、すでに満席のようだ。
10分ほど待って、テーブルに案内された。
海に囲まれているので、魚でも食べたいと思ったが、野菜料理がメイン。
しばしの失望。
だが、セイロ蒸しにしたイモや葉物の野菜がことごとくうまかった。
これをポン酢で食べる。だが、醤油皿がデコボコでなんとも使いにくい。
どうやったら、「こんな失敗作がつくれるのか」と心の中で毒づいた。
箸を進めていると、ポン酢のかさが減ってくる。
ようやく意図を合点した。
なんと、デコボコの形は小豆島。
特産品の醤油に浮かび、島が現れる粋な演出だったのである。
聞けば、数年前の瀬戸内芸術祭なるイベントで売られていた小皿という。
確かに、これはアーチストの仕事だ。
1年前に移住してきたという店の人に、夏至観音に行くと話すと、
「私ら地元の人間も観たことないですね。滅多に観られないので」
店を出ると、もう太陽の痕跡もなかった。
出会える確率はゼロに近いのだろう。
ただ艱難辛苦を踏み越えてたどり着いた小豆島。
引き返すわけにもいかない。
夏至観音自体が奇跡なら、奇跡が起こるやもしれない。
船ではあれだけ、白装束を見たのに、歩いていてお遍路さんが見当たらない。
どころか、集落には人すら歩いていない。
人家を抜けて山道に入ると、急に心細い道が続く。
車で行けなくもないが、すれ違うには高等テクニックが要りそうだ。
蚊ではないが、小さな虫が顔の前で「ブンブン」とうるさい。
手で払ってもすぐに、まとわりつく。
人はおろか、車も通り過ぎない。
霊感はないのだが、行く手を阻むような霊気を感じる。
とその瞬間、バキバキッと10mほど前で細い木が倒れ、行く手を防いだ。
なんだ!?
よくわからないが、人とすれ違った感覚があった。
もちろん、周りに誰も人はいない。
結界を敷こうとする御仁がおられるか。
背中には汗が。いや冷や汗か。
倒木を前に、立ちすくんだ。
ここまで来て、「戻れ」なんて殺生な。
かすかな音が耳に入った。
次第に大きくなっていく。
しばらくすると、車が倒木を乗り越えていった。
そんなものだったのか。
続いて観光客らしきレンタカーも。
減速してきたので、倒木をどかしてやった。
な~んだぁ。
先達がいるなら、いざ参らん。
心細さが一気に吹き飛んで、ずんずん歩く。
1番札所の石碑にたどり着いた。
説明が遅くなったが、小豆島の88カ所は、瀬戸内の島に多くある88カ所をまねた写し霊場の一つ。
島とはいえ全長約150kmもあり、徒歩だと5、6泊はかかるという。
伝承では、讃岐にいた弘法大師が、京都に行く途中に小豆島に立ち寄ったことがいわれという。
ネットに上がっていた小田氏の論文「小豆島における写し霊場の成立」によると、
資料はないが、18世紀に小豆島の写し霊場はあったようなことが記されていた。
ただ、なんでこんな行きにくいところに、1番札所があるのか謎である。
論文は、弘法大師が眠る高野山に一番近いのでそこが1番に選ばれたのではと推測する。
スタート地点に至る前に、私のように心折れる凡夫もおるように思えるが…。
石段に差し掛かると、白装束の方々が数人おられた。
お歳から察するに、車で巡っているのであろう。
岩石をくり抜いたような岩窟の中に、ほっそりとした観音様がおられる。
凛とした空気が張り詰める山岳寺院。
1番にふさわしいたたずまいである。
ただ夏至観音さんはここではない。
奥に進むと、そそりたつ岩肌が眼に入る。
仙雲窟という場所にたどり着いた。
ときにして2時半ごろ。
夏至観音が現れる3時まで少し時間はある。
だが正直、晴れる見込みはなかった。
夏至観音の姿がよく見える展望席のような舞台に上がった。
奥には毘沙門天をまつる八角のお堂があり、ホラ貝の咆哮一発。
白装束のご一行がお経を唱えだした。
ここが1番札所らしい。
ホラ貝を持つ先達らしき男性に聞くと、大阪から来たという。
「きょうはアカンね。わたしらも何度も来てるけど、見られたことは一度もないんやわ」
ただ「奇跡が起こるかもしれんから」と3時まで待つという。
小生も同じ心持ちだ。
展望席でぐったりしていた女性2人も諦めているようだ。
だが「以前はこんな感じ」と、はっきりと映った夏至観音さんをスマホの写真で見せてくれた。
スピリチュアルに関心がある方なのだろうか。
「光の輪もあるんですよ」
60番札所の江洞窟では、冬の早くに朝日が差し込むと、洞内に光の輪ができるのだという。
スマホで見せてもらうと、暗がりに黄金の輪がかかっており、確かに霊的なものを感じさせる光景だ。
先の先達が説明を加える。
「四国の88もいいけど、小豆島の遍路は洞窟寺院が多くて風情もあるから、私はこっちが好きやね」
確かに、言葉は悪いが歩きさえすれば廻れる四国のリアル88カ所と違い、
小豆島は1番からして、簡単には拝ませてくれない。
他の札所の光の輪なども、絶対条件ではないが、見ていないとどこか満行感が沸かない。
そんなところが、魅力といえば魅力なのかもしれない。
3時を過ぎると、みな階段を降りてゆく。
先達も「日曜にかけよう。また明日!」と潔よかった。
空からは小雨も。
テントから呼ぶ声がある。
お寺の関係者らしい。
「せっかく来られたんで、記念の夏至観音さんのハガキをお持ち帰り下さい」
なんたる心遣いか。
そこには光の加減で、錫杖を持つ細身の観音さんが岩肌に立たれていた。
まさに後光が差しているかのような尊さであった。
「月光観音さんもおられるんです」
それは冬に満月の明かりで現れるのだという。
こんな心細い道を夜に、しかも冬に。ここまで来ると、狂気の沙汰だ。
条件がそろえば夏至観音が立つ岩肌に一礼した。
次に来るのはいつであろうか。
島の南に位置する坂手港へ下っていく。
無人らしい寺を過ぎ、しばらく行くと集落に入った。
小径を無邪気に歩いていたら、ログハウス風の社の中に何かがいる。
結構驚いた。
ウルトラマンに登場する怪人「ダダ」を思わせる異形のオブジェが、不気味にたたずんでいる。
瀬戸芸がらみの制作であろう。タレントのビートたけしと作家の共同作品とある。
こりゃ、夜初めて見た人は卒倒するだろうな。
そう思って前に立つと、口から水を放射してきた。
夜でなくても、腰を抜かしそうになったわ。
これ、絶対に「18禁」とかにしておいた方がいい。怖すぎるぞ、こやつ。
ダダは、地中に埋められた水の神さまなのだという。
その怒りを表現しているというが…。
振り返ると、まだダダは水を吐き続けている。
これは怒りなのか、恵みなのか。
港に着くと、出航は30分ほど遅れるという。
時間つぶしに、受付の女性に話しかけると、向こうもヒマなのか気安く教えてくれた。
「夏至観音は3時とかいうけど、2時ごろからおった方がいい。天気のことなんで」
なるほどなと。
妻への土産は、「オリーブご飯の素」。これが意外にうまいのである。 自分用には「オリーブの着方」というシュールなTシャツ。
ともかく、オリーブ。
なにせ全国の約9割を香川県が生産しているという。
ぶっちぎりで敵なしのオリーブ大国なのだ。
「ジャンボフェリー」というとてつもない三ノ宮に向かう船が遅れて、
近江八幡駅までしか電車で帰れなかった。
妻に謝りつつ、日付が変わった。
これだけの苦労をして、夏至観音は拝めなかった。
だが、様々な先達に出会い、夏至観音について深く知った。
拝める機会があれば感動はひとしおであろう。
かの弘法大師も云ったではないか
「虚往実帰」
虚しく往きて実ちて帰る、と。