光秀より怖いものは…(2017年5月・京都市・本能寺)

織田信長の命日は6月2日。自害したのが、京都の本能寺です。
 
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ご存じの方もおありでしょうが、「能」の字が違うんです。
つくりが「去」のような字になっているのがわかるでしょうか?
 
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これ「ヒ」が「火」を意味することを忌んだということですな。
でも、そんな気にせんでも…。
 
そうおっしゃる方もいるでしょうが、とんでもない。
信長が炎に巻かれたときも含めると、本能寺は1415年の創建以来、5度も焼け落ちている。
天文法華の乱で焼き討ちにあったり、本能寺の変が起こったり、蛤御門の変でも焼けた。
こりゃ、「ヒ」はこりごり。
 
何度も焼けた本能寺ですが、そもそもそこに立て直したのか。
今の本堂は1928年に再建されたもの。京都市役所のすぐ南です。
だが、本能寺の変が起こったときの寺は、もっと西の堀川高校のある位置にあった。
その跡を示す石碑です。
 
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ただ、それでけでは終わらない。
よほど、京都人は本能寺の火事を恐れたんですな。
だって、跡地には「本能消防分団」がある。
 
火が出たら、速攻で消すという覚悟ですな。もう燃やすまいと。
 
 
本能寺
 京都市中京区寺町通御池下る下本能寺前町522
  地下鉄東西線・京都市役所前から徒歩2分
  ☎075-231-5335
 
本能寺の変遺跡碑・旧本能寺跡
  京都市中京区元本能寺南町
 阪急京都線・大宮から徒歩10分
 

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