福島の蓋(2017年2月・京都市・京都精華大学)

「太陽の蓋」という以前から見たかった映画を大学のホールで鑑賞した。
東日本大震災による福島第一原発事故の官邸の緊迫感を忠実に描いた秀作であった。
 
映画は、東電の無能ぶりとそれに右往左往させられる官邸の混乱ぶりを描いていた。
ただ、観客の半数以上はゲストに引かれて、足を運んだのではあるまいか?
これがぶったまげた!
劇中に実名で出てくる当時の首相・菅直人と内閣官房副長官・福山哲郎氏が登壇した。
 
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左は福山氏です。
映画もよかったが、当然質疑応答はより白熱した。
ホールはほぼ満員。司会は「政治的な質問はご遠慮下さい」とアナウンスしていたが、
この2人を前にして、政治的以外の質問などあろうはずがない。
 
 
「お二人は現在、原発はコントロールできるとお思いでしょうか?」
「政権は変わりましたが、現在同じ事故が起こったとき、同じ過ちを繰り返さない保証はあうのか?」
「原発作業員として働いていたのですが、あの当時、東電の発言を鵜呑みにせず、直接福1との直接回線を使わなかったのか?」
 
質問自体が聞いていて、ためになった。
ただ最後の質問だけが毛色が違っていた。
 
「私は福島から避難している者です。今でも福島の人は各地で苦しんでおります。劇中にも少し触れられていましたが、(2011年12月に)民主党の野田首相は『(原発事故の)収束宣言』を出されたのか? この状況を当時の民主党の方たちはわかっておられるのか?」
 
女性の方の切々とした語り口は、いくぶん慣れておられたが、情に訴えるものではあった。
それまでの質問は、〝政治〟を彼女は〝価値観〟の話をしていた。
もちろん、答えなどない。
福山氏が反省も含めて話されたことが政治家としてのギリギリの回答だろう。
 
「この場を持てたこと自体が一つの成果。でもこれを周りの人にも訴えかけて、反原発の行動としてほしい」
 
お二方とも反原発は一致した意見だった。
菅直人氏は「私はこの震災が起こるまでは、外国に原発を輸出する旗振りをしたこともあったが、今は絶対にノーです。世界も、台湾やドイツなど原発ゼロを国民が採決している。日本だけが、逆行している」と、素直すぎる翻意を口にした。
 
でも、なんでこんなことをこのブログに綴るのかって?
コーディネーターを務めた京都精華大・西田教授がこんなことを言っていたのです。
 
「私はきのう福島県富岡町に行ってきました」
 
そこはまさに、われわれMONK衆が鳥取県・倉吉から笑い仏運ばせていただいたところ。
 
「桜並木がきれいなところがありまして、春には美しい桜で満開になるんです」
 
私も真夏であったが、その通りを眺め、満開の桜を想像した。
フェンス越しに…。
 
「そこはフェンス一つで仕切られているんです。この富岡町は、4月から避難地区の指定が解除されます。多分この地がテレビで流れることになるのでしょう。しかし、8割以上の方が、今いるところを離れられないということです。政府は住民のことなど考えていない」
 
同じ話を富岡町浄林寺の早川住職からうかがった。
政策として解除されても、6年離れた土地から、人のいない故郷などには帰れまい。
映画では新聞記者が、事故後の取材で官邸の政治家とやりとりするシーンがある。
 
「あのとき、われわれには情報がなかったんだ」
「ちょっと待ってください。情報があれば対処できたんですか?」
 
そう東電の情報なんて、あったとしてもクソの役にも立たない。
誰もこんな事態をハナから想定していないんだから。
原発反対を叫ぼうが、廃炉にも作業員が必要となる。
いわき市の国道沿いは、東京の郊外かと見まがうほどの飲食チェーン店が立ち並び、
土地の人によれば、「バブル」なのだそうである。
反原発は正論である。ただ、お前が悪いでけでは前に進まない。
映画の問いかけは、観客にも投げかけられている。
 
「あのときまでに今の情報があったとして、あなたは反対していたんですか?」
 
映画「太陽の蓋」についてはこちら

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