福島県の富岡町から1年(2016年8月・福島県富岡町・浄林寺)

1年ぶりの福島訪問である。
富岡町にある浄林寺の施餓鬼法要に参加させていただいた。
 
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鳥取県倉吉市を2012年6月に出発した笑い仏は、
2015年7月に最終目的地の浄林寺を安住の地とさせていただいている。
被災地のみなさまの笑顔を少しでも取り戻せるようにと。
 
そして、作者の山本竜門師は、笑い仏の脇侍をつくっておられた。
それが完成し、われわれMONKフォーラムに再び託された。
こうして「笑い仏三尊仏」として、浄林寺に勢ぞろいした。
 
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脇侍は「頬杖地蔵」と竜門さんは名付けている。
苦しんでいる方を「どうやって救おうか」と思案されているところを彫り込んだという。
中央の笑い仏同様、見ていてなごむ仏様である。
 
8月6日に行われた施餓鬼法要は、茨城でご縁をいただいた三井さんにも、尺八の「手向(たむけ)」という曲を奉納していただいた。暑さが漂う本堂に、しばし清涼の風が舞い込んだ。
 
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そして、新年に行われる福を呼び込むという「大黒舞」も檀家さんにより行われた。
ご高齢にかかわらず、身をかがめながらのコミカルな迫真の舞に、みな拍手喝采であった。
 
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お寺を切り盛りする早川住職は、大音量のユーモアたっぷりの話術で、
お寺の現状を檀家さんに、訴えられていた。
 
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彼には、「お寺が、震災により離ればなれになったコミュニティーの再会の場であってほしい」という切なる願いがある。そのため、いわき市から1時間半もかけ、車で来て、お寺の手入れを続けてきた。
 
富岡町は来年4月には、避難地域から解除され、宿泊ができる地域になるという。
ただ、それは行政的な「復興」であり、放射能汚染で町としての機能を失って6年になる場所が、生活できる町になる保証は全くない。
 
5年がたった被災地と周辺は、今でも複雑な姿を見せている。
同行した方は話す。
 
「となりのいわきの町は、復興バブルで、幹線道路沿いには、続々と東京資本のレストランが入ってきている。スタバもできた。いわき平競輪ってのがあるけど、地方にしては売り上げがよくて、でもそれは復興のために、県外から来た作業員の方のおかげ。富岡にもセブンイレブンができたけど、ここも繁盛しているのはそういうこと。これが、そのまま復興とはいえないよね」
 
施餓鬼法要のあとに、1年前に見た被災地を車でまわった。真っ黒い汚染土が詰まったフレコンパックの山は少なくなり、前に見えなかった海が姿を見せる。
 
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ただ、粉々になっていた中華料理屋などの建物は、跡形もなく、前に来たところとは思えない。
 
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「もうここは使えないだろうね」
 
同行の方のつぶやきが、重くのしかかる。
 
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5年という年月がたっても、
どこから何に手をつけたらいいのか、その答えを見つけ出すのは容易ではない。
 
浄林寺
 福島県双葉郡富岡町下郡山下郡26
 訪問の際はお電話を 0240-22-3492

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