「法螺貝」を売ってる店なんてあるのかいな…。で、HPを調べると、ありました。法螺貝は、修験道の法衣専門店に売っていたのであった。ならば、と行ってきました。京都にある林勘法衣店へ。河原町通りを一筋入ったところにあるお店は、うっかりすると通り過ごしてしまう。店構えは、まったく普通の家と同じなのだ。
そういう意味では、なかなか入りづらい。しかし、これも試練。覚悟を決めて、「ごめんください」と入ると、畳の間には、ところ狭しと、修験道グッズが散乱していた。「ごめんください」。再び叫ぶと、怪訝そうにご主人が現れた。なんでも、直接店に来る人はまれで、みな通販で注文していくらしい。だから、顧客は全国にいるらしい。
「法螺貝を見せてほしいのですが」と切り出すと、主人は無愛想だが、惜しみなくブツを出してくれた。初めて、法螺貝を手にした。思ったほど、小さい気がした。口のところを金具をつけて、石膏で固めてある。シンプルな代物だが、その接合が結構難しいらしい。そして、やはり貝の入手が大変だそうだ。古来は沖縄で採れたものを使っていたそうだが、今はフィリピン産がほとんどという。ありがたく見入っていると、ご主人はおもむろに取り上げ、一吹き。
「ブッフォーン、ブオップー」と野太い轟音が部屋一杯に響いた。この閑静な界隈には近所迷惑な音色だ。そして、手渡してくれた。恐る恐る吹くと、「すん」とも言わない。なかなか、力わざだけではないようだ。そこで、彼女がぶんどる。か弱い口から吹き込まれたひとむらの風は、すてきな音色をあげた。「フルートとかと同じ原理よ」と、そこは、さすが音楽の先生だ。ちなみに、カタログによると、お値段は5万8千円からとある。これを高いとみるか、安いとみるか・・・。
From: “空石”
To: “円瓢”
Subject: 21日
Date: Mon, 17 Mar 2003 00:34:39 +0900
楽しき労苦じゃ。
地獄を今執筆しようと、たくらんでいるのじゃが、 調べるだけで、土壷にはまって身動きできん。 これこそ、仏教の奥深さを体感する喜びよ。 先日、お主が身を凍えながら東大寺のたいまつに照らされていたころ、 わたしは、空の会主催の声明&雅楽のコンサートを観てきた。 正直、迫力という点では、智積院のお堂から聞き漏れた読経のほうが 良かったが、公会堂を使ってのあの努力は認めるよ。 雅楽のときは坊主も眠そうであった。
変わって、21日はおぬしも承知のとおり、 弘法さんが逝ってしまった日じゃ。
そこで、真言系の寺では正御影供が開催される。 高野山か智積院などにぬるっと行ってやろうと 企んでいるのだが、これ如何に。
返事を待つ
PS:この日は転がる輪廻転生・ローリングストーンズのコンサートでもあって3時くらいには高野を発たねばならぬのじゃが・・・
To: 空石
From: 円瓢
Subject: どつぼもまた仏の導きか;お水取りに感涙;21日、京都可能か?
空石よ。どないや。
髪の毛さっぱりと切った。「春やから」というのがその理由なのだが、一向に暖かくならない今日この頃、これいかに?
: >楽しき労苦じゃ。
: >地獄を今執筆しようと、たくらんでいるのじゃが、 : >調べるだけで、土壷にはまって身動きできん。 : >これこそ、仏教の奥深さを体感する喜びよ。
うむうむ。さすがはMONK Forum理事よのう。よいコメントや。この「どつぼ」すらも、空なる縁(=仏)の働きというもの。おぬしをどつぼに入れることで仏の智恵の深みへと導く、どこぞの菩薩の計らいよのう。よきかな。よきかな。
: >先日、お主が身を凍えながら東大寺のたいまつ : >わたしは、空の会主催の声明&雅楽のコンサート
いかすのう。妻が側におるのも忘れるほどに没頭して涙さえ流したお水取り、素晴らしかった!。あのたいまつの業火が燃えるさまを凝視しながら、108本式の数珠を握りしめながらくぁっっ!!と目を見開いて祈っておった。「おぉ、あの火炎で煩悩を浄化し小欲を大欲への昇華する…」とか、「のうまくさまんだばざらだん…」と不動明王ご真言(慈救呪)をつぶやいていたものよ。
いやはや、仏教が奈良にわが国にたどり着き、それから1300年近くもずっとこの修二会が続いている訳でよ。確か法相宗か、東大寺は。4世紀はインドの「瑜伽行唯識学派」に起源を持つ、よくも悪くも奈良学問仏教な宗派やな。その悠々たる歴史を思い、かつその教えの深遠さを思うとき、おのずから感涙にむせぶというものよ。じゃらじゃらと数珠を繰りながら、ただただ有難い仏の智恵。それは煩悩を焼く。
我らと同行した俺の顧客でもある夫妻(元近鉄グループの中年起業家)がとった写真には、我に抱きついてカメラ目線の妻と、横に誰がおるかもさっぱり興味のない様子で、前方を凝視して数珠を握り締めている我様の図が!いかす!夫妻も、「円瓢さんの仏教好きはホンモノ…人には結婚しても変わらんものがあると言うが、彼の場合はまず仏教やね」と感じ入っていた。任せとけや!しかもたくさん挨拶してきた。
: >智積院のお堂から聞き漏れた読経
うむ。うらやましいのう、読経が聞けたとは。かくいう我らも、お水取りの夜はそのまま夕食をとり、ホテルアジールという奈良駅側のホテルに泊まった。で、翌日は近鉄京都線でのぼり、烏丸丸太町にて、妻の「かつら合わせ」を行った。で、その前に智積院に参拝やで!覚鑁さまの話などをつらつらとレクチャーしていた。坊さんにお辞儀はされたが、空石のように読経には預かれなかった。残念。
が、立派なお堂の不動明王とはちっと語ってきた。嬉しかった。
: >変わって、21日はおぬしも承知のとおり、 : >弘法さんが逝ってしまった日じゃ。
: >そこで、真言系の寺では正御影供が開催される。 : >高野山か智積院などにぬるっと行ってやろうと : >企んでいるのだが、これ如何に。
むむう。素晴らしいのう。が、俺は21日から東京に行かねばならん。帰阪は25の夜ぐらいであろう。が、今ふっと思ったが、21日は時間は指定されていない。「いつでも来い」とのこと。では、もし京都の寺ということであれば、昼0時ぐらいから寺を尋ね始め、5、6時ごろに終わって我はJR京都からそのまま東京へ、ということも可能であろうか。少し考えてはくれぬか、仏友よ。
では、連絡待っておる。