安芸門徒とHIROSHIMA~空石の広島便り(2007年12月)

広島は円瓢同様、当方も無知かつ興味のない地であったが、調べてみると中々面白い。(たぶん、どこに行ってもそうなんだろうけど・・・)
少しそれるが、『仁義なき戦い』の舞台。これは今をときめくスターたちの駆け出しの姿が笑える。でも菅原文太はかっこええ。それが縁で、今は山口組などのやくざ史について非常に興味を持っておる。

話を戻してまず、広島は原爆で市内中心のものはすべて吹き飛んだ。そのため、寺は戦後のものが多い。ただ、広島という土地は『安芸門徒』の地と言われ、浄土真宗の西のメッカとして知られている。なぜ、浄土真宗が多いのかはまだ不明だが、殺生を禁じる教えが染み込んでいるということで、『備前法華』(岡山の日蓮宗)と比べて、間引きは少なかったとされる。そのため、江戸時代の人口増加率も他地域に比して高く、その上耕作用地も少なかったため、貧しい土地だったとされる。

ここからが面白いのだが、そのため次男三男は出稼ぎに行かなければならず、九州の炭鉱や海外移民の割合が日本一多かったそうである。
(移民史は拙者が大学時代の研究テーマでもある)

ハワイでは太平洋戦争前「じゃけん」とかの広島弁が、日本語と思われていたらしい。現在では、その移民資料館ができたというので、是非行ってみたい。

また、よく働くということで、ハワイなどから広島県人の引き合いが多かったとも言う。
いずれにしても、貧しいことの裏返しでもあるこの地域に、原爆が落とされた。
それが、HIROSHIMAの名を皮肉にも世界的なものにしてしまった。

少し仏教とは外れたが、殺生の地が世界平和の中心地になっているのは、仏縁か。
そこらへんを軸に、広島の歴史及び、仏教事情をえぐって生きたいと思う。
またそれは、追ってレポートするわ。

あと、1時間で2008年、年賀状も届くと思うけど、
一足早くハッピーニューイヤー。

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