「~三尊像のいわれ」を受けて(2003年2月)

で、空石の月蓋と善財童子のセットの由来、楽しく読ませてもらったがな。貴様の論理、一理あると思うで。確かに、この世のものに見えない「仏さん」は一般者にはとても有難いが、「修行者・祖師方」は、修行を実際に行う坊主には逆に生々しく迫ってくるのかも知れない。神話も結構「写実的」なものが多いからな。

俺も、起床直後に「仏の富が…」という大乗仏教的アレンジ済みマーフィー的祈りを行うときに頭を垂れるときは、「仏(如来)・菩薩摩訶薩・祖師方」とに行う。やっぱ、「祖師方…サンガ」と思うとき、それは非常に血肉を伴うものとして感じられるしな。ここらへんの意識とも関係あるのやも知れぬ。

コメントを残す