「地獄はある意味、当分できないであろうから、今回は濃い寺巡りをかまそうぜ」
昨冬に会ったときは坊主頭に作務衣で寺守のようだったが、
冬は寒さも防ぎたいか、幾分髪も整った円飄が切り出す。
お任せあれ、仏縁にかけては強運を持っておる。
おぬしの門出(いつか円飄が説明するであろう)を祝い、より選った寺に案内いたそう!
地獄巡りとはいえ、最近は車という文明の利器も多用するようになっている。
だが、ゆえに幅広で寺参りできるとも言えよう。そこは多めに見てくだされ。
香川県多度津町にある別格札所の海岸寺を出立して、
キリンが待つJR駅に。
レンタカーを借りるため、単線列車にゆられて、観音寺駅で降りる。
「これ見てみ」
神奈川県から弘法大師誕生の地香川県に住民票を移している円飄がいたずらっぽい目を向ける。
どこにでもありそうな自動販売機がポツン。
なぜかボタンがついている。
押してみると、ややっ!
ふわりと濃厚な伊吹いりこだしの香りが噴射されるのだ。
ジュースやコーヒーとの飲み合わせなどクソ食らえ。
観音寺はいりこの水揚げ量が多く、「うどん県」に加え、「いりこだ市」を標榜しているとか。
特産品をアピールする必死さは伝わってくる。
地元新聞に掲載された体験者のコメント「香りをかいで、おなかがすいた」は秀逸だった。
ジュースの香りが噴射されても、実際飲むんだから関係はない。
「おなかがすいて」となれば、食べ物もほしくなるなら、売り上げには一挙両得なのかもしれない。
アポがあるので、先を急ごう。
目的地はお隣の愛媛県の今治市。
乗禅寺まで車を走らせた。
断っておくが、観光寺院ではない。そもそもわれわれの地獄記にあまり観光寺院は登場しないが。
延喜という地区にあるため、観音様が「えんぎ観音」と呼ばれている。
この寺は社会生活に困難をともなう若者を受け入れ、
就労機会を与える活動を熱心にしておられる。
柔和な表情をした越智住職が、笑顔で迎えてくださった。
活動を事も無げに話すのだが、それがいちいちすばらしい。
本堂の観音様の前で、すさまじい体験を語ってくれた。
住職は、「死にたい」などの悩みを持つ人の電話相談をされている。
それほどの苦しみを抱える人は、夜に携帯電話を鳴らすことが多いという。
深夜にかかってきて、それが明け方まで続くこともあるそうだが、
「早寝するから大丈夫なんです」と笑い飛ばす。
ホンマモンの宗教者だ…。
「本当に危ない」と思った相談者がいたという。
「放っておいたら、えらいことになる」
直感がしたという。
「福岡ドームに行ったことがいい思い出だった」と彼が言っていたことから、
何の当てもなく、福岡に向かった。
当然、見つけることなどできるはずもない。
だが、ホテルで片っ端から電話帳を手に宿泊施設に電話をかけまくった。
死に突き進もうとする若者を助けたい一心。こちらも必死である。
すると、鹿児島に彼が泊まっていることがわかった。
事実、彼はそこから船で島に渡り、命を絶とうとしていたという。
「助けたいという思いで無我夢中でした。観音様が助けてくれたんですね」
お坊さんと話していると、よく「お大師様の思し召し」とか「阿弥陀さんにゆだねる」という言葉を聞く。
一見、他力のように聞こえるが、そこには越智住職のような強烈な信心がある。
1人の信心が、長く続いていく信仰をつくるのであろう。
「見ていきますか」
お寺を出て、アップダウンの激しい坂道を車で走ると、
急斜面に畑があった。
「レモンを作っているんです」
急斜面で立っているのも、少し踏ん張りがいる土地。
ところどころの枝に黄緑の実が成っている。働きづらい若者や障害者がレモンを育てる。
そして、工賃を渡す。
工賃とは、一般的な雇用条件で契約を結ぶことが困難な人に支払われる給料。
彼らには心身の病で「きょうは行けたけど、あすは無理」などと、規則正しい時間に働けない人もいる。
越智住職は彼らに立派な就労機会を与えている。
なぜレモンかというと、「栽培に手間がかからない」のだそうだ。
そのレモンは、某T社のチューハイに使われているという。
善意は、しっかりと社会とつながっているのである。
畑にしても、高齢の檀家さんで「もう耕せない」という方から譲り受けている。
地域資源をフル活用している。
恐るべきアイデアマン。
誰にでもできることではない。
しかも、そこにおごりはない。
本堂にはサッカーファンにはうれしいものもある。
石段の前に、日本代表だった長友佑都さんの足をかたどった石がある。
なんでも母親がこのお寺と縁があったらしい。
住職は「生きづらい子どもらが学べるフリースクールを作りたいんです」とも話されていた。
この住職ならいつかそれを実現されると思う。
「夢」が叶うことを切に願う。
昼を過ぎていたので、小腹がすいてきた。
せっかく今治まで来たのだからと、地元名物の「焼豚玉子丼」を味わうことにした。
レトロな洋館といった「白楽天」に入った。
人気店らしく、10台ぐらい停められる駐車場は満車状態。高級外車も乗り付けてある。
もちろん、店内は満員。否が応でも期待が高まる。
どんぶり飯に、甘辛の焼き豚と目玉焼き。
とろんとした黄身の下に焼き豚が埋まっている。
当然、うまかった!
シンプルな料理だが、甘辛くてやみつきになるうまさ。
量もある。学生時代なら、二杯はいけるかな。
腹がふくれたら、次なるお寺へ。
と車を走らせていると、奇妙な建物が姿を現した。
天守閣? 今治城かな?
その白亜の建造物は、マンションらしきところから顔を出している。
今治城はお堀の中に立ってると聞く。
「そうなのよ」
すべてを見透かしていた円飄が解説を加えた。
●●
いや~なんとも面白い話であった。
腹も満腹だが、脳みそもオーバーワーク気味になった。
「もう、食べれん」と大笑いしながら、最終目的地に向かった。
ここは空海好きの円飄を驚かしてやろうと、連れてきた。
今治から東にある新居浜の萩生寺である。
いきなり駐車場の壁に、ピンクのハートマークが埋め込まれていたのは、乙女過ぎてビビった。
さて、本題。
山門をくぐると、お大師様が出迎えてくれるが、よく見ていただきたい。
後ろにも、背中をくっつけたお大師様がおられるのである。
「両面大師」という。全国にここだけという。
おひとかたは五鈷杵と念珠を手にしている。
そしてもうひとかたは、念珠と剣。
大覚寺にも作例はあるそうで、「秘鍵大師像」といわれる。
文殊菩薩の利剣を表し、煩悩をぶった切ってくれるというのである。
両面というのは、御利益も二倍ということであろうか。
インパクト絶大で、円飄も満足げであった。
それだけで終わらないのが、このお寺。
本堂である。
日本のお寺とは思えない異形の多宝塔である。
われわれは仏に見られておった!
仏眼に見すくめられると、2人に止みがたい好奇心が芽生える。
夕方で拝観は一通り終わったのか、人の気配はない。
寺務所のブザーを押すと、
住職とおぼしき方が姿を現した。
「遠方から来たのなら、お上んなさい」
由緒書きと説明だけいただこうと思っていたのだが、ご厚意に甘えさせていただいた。
多宝塔のことやらいろいろうかがおうとしたが、百聞は一見にしかずとはこのこと。
お堂には、ケースに入った鮮やかな砂曼荼羅が展示されていた。
極彩色の砂は仏様の浄土を表す。
確か映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」に出てきたと記憶する。
(違ったらすみません)
息も殺すようにして数週間もかけて作成する芸術品に、みなは息を飲んで見守る。
だが、ここからがすごい。
僧侶は何事もなかったように、壊してしまう。
見学者の阿鼻叫喚の中、僧侶は「諸行無常じゃ」と言わんばかりに破壊する。
仏の教えといえば、そうなのだが…。
ここにあるのは、壊されずに残った砂曼荼羅。
そういう意味では、珍しい。
小生もじっくり見たのは初めてである。
2人して見入っていると、住職は穏やかにたたみかける。
「こちらがダライ・ラマ猊下のサインで…」
え、そんなものがあるんですか!
禅画などを描く掛け軸に、横書きのサインが。
高野山真言宗の松長有慶管長の書き添えもある。
なんなんだこのお寺は!
ご住職はダライ・ラマさんのお気に入りで、「35回お会いしている」とのこと。
しかも彼からあいさつに渡される「カフー」も数本いただいたという。
ここまで読んでいただいている方は千万承知でありましょうが、念のために説明を加える。
ダライ・ラマ猊下は、チベット仏教で高僧の生まれ変わりとされる「活仏」の14代目。
チベットの政治と宗教のシンボルで、1989年にはノーベル平和賞を受賞している。
ただ近年は、チベットを危険視する中国ににらまれ、
当局はダライ・ラマが後継者に定めた子どもを拉致。
チベット弾圧を正当化させるために、中国が拉致した後継者を次代に擁立しようとしている。
これに対し、猊下はコペルニクス的発言で返した。
「活仏の制度が政治利用されてはならない。そうであれば、私の代でこの制度は終わりとする」
そして「チベット仏教は民衆に支持されており、活仏の制度がなくても続く」とコメント。
武器を持たない1人の僧侶が、超大国相手に対等以上の闘争を繰り広げている。
チベットだけでなく、世界からも支持されるゆえんである。
「もしよかったら…」
次は地下通路に導かれた。
通路に明かりを入れると、暗闇にほのかに仏像が浮かび上る。
「出た…」
ミニ88カ所である。
一周すれば、お遍路のプチ体験ができてしまう。
両面大師に導かれてふとやってきたが、そこは単なる入り口。
このお寺は、世界を股にかけるプライスレスな仏国土であった。
先日、ダライ・ラマさんの講演を聞いたという方と話して、こう言っていた。
「通訳が話しているとき、ダライ・ラマさんがそっちのけでいたずらしてるの。それがかわいくて」
世界の識者がひれ伏す権威でありながら、誰もが親しみやすいキャラクター。
それが猊下の実像に近いのであろう。
まだ話したいことはたくさんあったが、日も傾いてきた。
そろそろおいとまの時間だ。
それにしても、ご住職は「昔のことですから」と偉ぶるところがみじんもない。
猊下から「ブラザー」と親しみを込めて言われるのも納得である。
濃い内容の伊予の地獄紀であった。
実際は、実に極楽紀行であったが。
せめてもの感謝の意を込め、今治市にふるさと納税を行った。
そして届いたのが、この封筒。
これまでは味気ない封筒が送られるだけであったが、地元の若者らのアイデアで作ったとあった。
キリンといい、パンダといい…
しかし、なかなかいかすぜ! 四国!