香川照之+白洲正子=石馬寺?

さてさて、ホテルに戻って一眠り。さすがに徹夜だと翌日が響く年齢ですので。
起床してから、まずは滅多に観ないテレビをみる。これも「納地獄」では恒例行事。
BSでは俳優・六角精児の鉄道番組をやっていた。
へぇ、あのおっさんギャンブルだけでなく、鉄道も好きなんや。
親近感を持ちつつ眺めていると、少し勝手が違ってきた。
車窓から眺めながら、あらよっと缶ビールを仰ぐ。
駅を降りて今度は居酒屋を探す旅。あれ?そういう趣旨?
さらにそこで終わらず、フラフラともう一軒まで。
おいおい!!これって、飲んどるだけやんけ!
北陸の七尾線という情緒ある鉄道をテーマにしているのだが、その映像は1割程度か…。
最後は海岸で二日酔いなのか、視線を落としたままの映像がしばらく続く…。
これ、もう廃人だわな。六角氏、ギャンブルグルイとあんま変わらん…。
いや、待てよ。でもこれって、酒好きの理想みたいな番組なのかも知れん。
飲んで、旅して。旅して、飲んで。おまけに、飲みながら旅して。

俺らもあやかって飲んでお寺に行ったら…て、もちろん追い出されるわ!

続いて、「香川照之の昆虫すごいぜ!」という番組が来た。
これは私のお気に入りで、家にテレビがない円飄のためにおススメした。
タイトル通りの番組だが、あの東大出の名優・香川の異常な昆虫愛が番組で容赦なく牙をむく。
その偏愛は、ゲストの子どもをびくつかせるほど。
(ホントに引いていた。次回から交代するんじゃないかと危ぶむレベル。)
その番組では、香川がマレーシアに出向き、現地の虫取り名人と蝶を捕る対決をするのだが、
その目が完全にイっていた。あれは狂人の目であった。
あの熱帯で、カマキリのかぶり物を身に着けて目を血走らせるオヤジなど、狂人以外の何物でもない。
テレビ嫌いの円飄も、さすがに興奮してかぶりつきで見入っていたぞよ。
「これ、『香川照之の昆虫すごいぜ!』やなくて、『昆虫を追う香川照之すごいぜ!』が正解やな」。
…いやほんとに。仏友よ、心の底から同意するわ。
BSなので、滅多に観られないが、がんばってくれ!六角&香川!
(ん、「昆虫…」は普通に観られたのかな?)
昨日はフル稼働したので、ゆったりと野々宮神社への参拝をすませてから石馬寺へ。
これがまた車なしでは行けない場所なので、バスに揺られてまんま「石馬寺」駅で下車する。
まぁ、隠れた古刹なのだが、元旦にもかかわらず、人の姿が少ないのはデフォ。
ishiba ji forward
が、人が見えないのには、もう慣れた。前夜は獣さえいない(でも別のものはいる)感じだったゆえ…。
境内はこじんまりしていて、不ぞろいの苔が光を浴びて、柔らかな雰囲気をかもしている。
ここも聖徳太子ゆかりの寺で、太子の馬が当地で動かなくなり、太子が馬を止めて山に登ると、「いやはや」と絶景に感動。急いで下山すると、樹につなぎ止めていた馬がなぜか石になって、沼に沈んでいくではないか。
ishiba ji frontdoor
「んなアホな!?」と思うでしょうが、そこは聖徳太子ですわ。さもありなん。何となく。
なにかの縁だと建立したのが、この石馬寺というわけ。
ishiba ji ishidan
宝物殿は平安期の仏像が並び、秀作ぞろいでこれだけでも訪れる価値はある。写真がないのが残念。
特に、牛にまたがる大威徳明王!!これは迫力満点である!
うちの円瓢は、文殊菩薩と(その憤怒形の)大威徳明王を贔屓にするので、ガン見していた。
もちろん、スーパーマン役行者さんもしぶさを出されている。よい像たちでした。
さて、近年この寺が知られるのは、かの白州正子が活写した、近江の古寺を探訪する「かくれ里」というエッセイによるところが大きい。石馬寺自身も、「白州の…」と丁寧に紹介している。
ishiba ji overview
ただ、彼女は諸手を挙げて、このお寺を絶賛しているのかというと、そうではない。
私も読んだのだが、境内にあった石庭について、「この程度の庭なら、むしろない方がいい」とぶった切っている。借景にすばらしい岩山があるのだから、洪水で流された庭に手を加えたと聞くが、そんなことはしなくても美しいじゃないのよ。彼女はそうもフォローしているが…。
ishiba ji koke garden
それにしても、さすがに骨のある文筆家である。案内を付けてもらおうが、自分の価値判断でものを言う。
ものを書く人間として、至極まっとうな姿勢である。忖度?はぁ?何それおいしいの?である。
さすがは正子や!だてに旦那も超絶優秀変態のことだけはあるで!
これがあの不興を買った石庭か…と妙に感心して眺めておった我々。
だが、それはそれで見どころなのであることよ。
確かに目を見張るものではないのだが、それほど腐すものでもないかと思う。
ishiba ji koke buddha
こうして、いわゆる寺参拝は終えたのだが、山の頂きの向こう、苔むした石段が気になった。
石段だから、「果てにはなにかある…」と踏んで歩みを進めた。いつもの好奇心。そして続く地獄、である。
またもやこれが結構続いている。…なるほど、上等ではないか。
しかも、配置が絶妙なのだ。
「もう戻ろうか…」と思ったころに、眺望が開けそうなフラットな踊り場が突如あらわれる。
そこには何もないのだが、少し休むとまた「次のフラットまで…」とがんばってしまうのだ。
おそらくは意図的であろう。先人の知恵はすごいと、感心した。だが、段々と我らの息も切れてきた。
ishiba ji rokusho temple early
「おい、さすがにもう戻ろうか…?」
ishiba ji amamiya dragon
そう思いかけたときに、石の鳥居が目に入った!
雨宮龍神社とある。
これこそ目指していたいたものぞ!と俄然元気が出てくる。(ちょろい二人)
先の聖徳太子の逸話ではないが、ホントに近江平野を見渡す絶景が広がっているのだ。
西には「西の湖」も見える。ほほう、これに太子も絶句したんやな。写真じゃ伝わらんが。
ishiba ji nishinoko
そして思った。
「正子に勝った!」と。
さすがに、この勾配は白州正子ばあさんにはきつかろう。
となれば、この絶景も見てはおるまい。ふははは、そこまで見てから石馬寺も批評せよ!
庭をディするのもよいが、石馬寺は、この神社とセットで参拝せなあかんで!
正子にとっては、謂われのない喧嘩が売られてる訳だが、寺といえばわれらも一家言あるぞよ。
近江を深く知る文筆家を倒した気分で、円飄と私空石は、意気揚々と帰路についた。
ishiba ji backwards
一仕事終えたると、足取りも軽くなる。ええ、単純ですとも。だから続く地獄の旅なのだ。
スピードを上げて下山していると(とはいえ中々の山道)、ある道案内を見つけた。
ishiba ji kitamu kannon faraway
「北向き岩屋観音 1.9キロ」
「北向き」という言葉に強くひかれた。
なぜって、観音様はふつう北向きにはつくらない。
なぜなら、それはお釈迦様が亡くなったときの方角だからだ。
北枕とかいうやつよ。釈迦如来とセットで安置されることの多い観音菩薩だしな。
だから、あえてこの手のものは「北向き」と言葉を追加するのだ。
ただ、ものは考えようで、敢えての「北向き」だからこそ、霊力が強いとする寺も存在する。
(例えば、http://www.monk-forum.org/junreichi/477-2015-12
ま、それにしても、正子を倒して、我らの気分も高揚している。
いやしかし、それにしても、相当の行軍のあとに、さらに1.9キロの追加とな?
たかがなのか、されどなのか?ここは迷いどころである。
見上げると、雲行きも悪くなってきて、小雨もパラついてきた。
うーむ、夏の箕面の雨天ハイキング(軽く遭難)が頭をよぎった。
仏友の光の坊は、負傷兵のなりで下山を強いられたではなかったか。
しかも、下りの方が実はしんどい。山をなめたらアカンのだよ。
「石馬寺は0.9キロ」
…う、うむ。大人の分別がかろうじて勝り、われらは来た道を引き返した。
降りる先にあった、六所神社も、緑に包まれた古社の味わいがしみた。
大人の分別がもたらしたお土産であろうか。
 ishiba ji koke stone
石馬寺をあとにして、帰りのバス停に戻ると、不気味な視線を感じた。
田んぼに立つ人影。いや…。
マネキンも寒かろう。服を着せてあげようという愛情が、恐ろしくシュールな光景を現出させている。
今は冬だが、夏はTシャツに衣替えするのであろうか?…もしそうならば、MONK衆は夏に戻らねばなるまい。
ishiba ji manekin
バスを経て電車の中。心地よい睡魔に襲われながら、われらは「地獄巡り~近江編~」から無事帰還した。
円飄がスマホで計測していた数値によると、こうある:
31日 16キロ 3時間54分
01日 20キロ 4時間50分
われらの歩行距離である。別に山を縦走している訳ではない。
ただ、「普通に」寺巡りをしているだけのことである。
相変わらずの酔狂よのうと、口元に笑みが走る。へうげておるのう。
これぞ45を越えたMONK衆。大人の遊びであろう。まぁ、知らんけど。
そしてこれは後日談。
あれから白州正子を読み返してみた。
すると、彼女も結構乙な山寺巡りをしているのだ。しかも一人で!
さすがはばあさん。こんな文章もあった。
「日は暮れてくるし、お腹はすくし、寒くなるし、あんなに心細い思いはしたことがない」
石馬寺から先の雨宮龍神社に行き、さらに南西に進むと、繖山(きぬがさやま)に出る。
ここに観音正寺や桑実寺があるのだが、観音正寺なんて、麓から1200もの石段が出迎える。
それを、夕暮れにおなご(多分ばばあになる前)1人で登ったのだから、驚がくの心意気である!
「あんたたち、まだまだ青いわね。」
明治女の高笑いが聞こえた気がした。
うぐぐぐぐぐ…。降参しました、正子のばあさま。
正子が生きておられたら、あの戦慄のマネキンのことも書き綴ってほしい。
そしてこうして、2018年のMONKの「地獄開き」が粛々と開かれたのであった。
了。
ishiba ji trunk

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