近江鉄道に揺られ永源寺に門を閉ざされる

強行日程とはまさにこのこと。
ときは昨年(2017年)の12月31日。押し迫ってきたどころではないタイミング。
私がタイ・バンコクから帰った次の日に、仏友が東京から乗り込んできた。

 

なにをたいそうな。たかが正月休みやないか!?
ふん、そう云うことなかれ。
われらにとり、恒例の「地獄巡り」、さらにその中でも「年の最後を締める」ための「地獄納め」は、それほどに労力(…と何よりも勇気)を要するものなのです。なのに今回は海外旅行からの疲れがまだ取れていない。中々の「地獄」(まさに)になりそうな予感がぷんぷんしますぞ。

 

さて、今回の目的地はというと…。
あまり準備時間がなかったので、深くは考えず、個人的に縁深くなっていた「近江」をチョイスした。

 

 

さて、滋賀県は近江八幡駅に電車で着きました。
「まずは車やろ!」

 

滋賀県のお寺はよいものが多いのだが、点在していることもあり、
勇んでいくつかのお店を覗くも、レンタカーの在庫は冬休みだということでナッシング。
我々お得意の計画性のなさがいきなり裏目に出たのだが、地獄巡りでは、それも想定内。
 
が、想定内でなかったのは、駅のそばを歩いているときに出会ったこの邪悪な存在。
た、狸?でも二本足で立って居るし…。化粧?とりあえずパシャリ。今回の旅のマスコットにしよう!
 
eigen ji oumihachiman station evil
 
結果、我々二人は微塵も落胆することなく、代替案として近江鉄道に乗りました。
これまたかなりのローカル電鉄。ちなみに仏友は初めて乗ったとのこと。
ガチャガチャ揺られて、八日市駅に。そこで近江鉄道バスに乗り換える。
 
近江鉄道のマスコットキャラは可愛い。
速攻で、先ほどの邪悪な狸はマスコットの地位をはく奪されることに。
 
 eigen ji oumi tetsudo
 
行ったことがなく、「なんか行きたかった」という理由だけで、古刹の永源寺に向かう。
時差ぼけなのか、バスが出発してすぐ眠りに落ち、30分ちょっとで気がつけば終点の永源寺駅に。
もちろん我ら二人だけですわ、そんな辺鄙なところで降車するのはね。

 

 

ところで、ご存知か?年末の寺は人が少ないのだ。
これは地獄巡りで得た教訓。だから、我々のような寺をじっくり拝観したい手合いには都合がよい。
だが、ちょっと待て。本当に人影がない。全くないとはどういうことでしょうか?
 
eigen ji ishidan red
 
気を取り直して寺までの石段を登っていくとき、ようやく帰り道を急ぐ参拝客とすれ違った。
我々が会釈をすると、彼らはほほえみながらこう言い放った。
 
「閉まってますよ」
 
は、はあぁああ!?なんだとぉ~!?
閉門は「16時」となっていたやんか、観光案内その他で!?
HPにも休みだなんてなかったやんけ。え、何か臨時休業的な何かなのか?
 
eigen ji closed door
 
おっと、この怒りはまさしく仏教が諭す「瞋恚(しんに)」、「三毒」の中でも頑固な奴です。
いやいや…と、ここは抑え気味にしながら、先ほどのバス停近くにあった観光案内所に引き返した。
 
好々爺然とした御仁に事の成り行きを告げると、彼はわざわざ電話までかけてくださって、
「おかしいなぁ?出ませんなぁ…。でも休みとちゃうので、入ってええと思いますよ」とおっしゃる。
 
公のお墨付きをいただいた(と勝手に認識した)我らは、再び勇んで石段を登る。
禅宗らしく、訪問の小坊主が『頼みましょー!』とやる気概で、いかめしい総門をくぐった。
 
eigen ji trespassing
 
eigen ji inside
 
このお寺は臨済宗の大寺なので、お坊さんがおられて来られるだろうと予想したが、シ~ン。
少し申し訳ない気もしてきたのだが、一度くぐった縁なので、境内を突き進むことに決定した。
誰もいない本堂を横目に奥手まで進んでいくと、おや、明かりがついているお堂があった。
 
「ちゃんと、おられるやん!」
 
不法侵入で終わるよりは、誰かと接触して陳謝し、寺を後にしたいと思っていたので、変だがホッとした。
 
そして、お堂に進むにつれ、お経の声がもれ聞こえてくる。
1人だけではなく、たくさんのお坊さんが唱和している様子である。
 
おっと、遅れてしまったが、永源寺の説明を軽くしておくと、14世紀創建の禅寺である。
かなりの山寺なので普段は観光客も少ないが、紅葉の時期になると、一変する…らしい。
 
(色々と回った後に)門外で2人で立ちすくんでいると、法要が一段落したらしい。
今度は、続々と僧侶が建物から出てくる。列をなして。おぉ、めっちゃおられるやん!
 
お叱り(いやいや断りは取っておる!)を受けるかと思いきや、みんなこちらに気付いているのだが、素通り。
しかもなぜだか、急ぎに急いでいる様子である。我々に一瞥したらどんどん駆け足で移動していく。
 
何やろう?声をかけるのは悪いとは思いつつも、最後に出てきた、若い僧侶の指導係のようにも見える僧侶に一声かけさせていただいた。
 
荒く息をする僧侶は我々を見るなり、「鐘を撞きたいんですね?」と焦点の合っていないような目で答えられる。いやいや、鐘はどちらでも…と思いながらも、「珍しい儀式ですね、見学できないですか?」とお願いする。すると、「ご自由に…」みたいなことを云われて、「じゃっ!」という体で風のように去るお坊さんを追いかけていった。明らかに、どう見ても、お急ぎの体である。
 
「これは、ガチの儀式やな。参拝者に向けてのものやない、『内向け』の奴やで!」
円飄がしてやったりという顔をしながら頷く。
 
儀式にガチもないと思うのだが、彼も僧侶たちのただならぬ雰囲気を感じたのだろう。
言葉通りに、外から、内側の儀式を見学させていただくことにした。
 
これがなかなか興味深いのだ。
 
いろいろなお堂を僧侶の群れが巡っていくのだが、お経の合間に五体投地もある。結構な儀式である。
かなりご高齢のご住職も、儀式に参加されておるが、誰一人手を貸す者はいない(ように見えた)。
 
「これは大事な修行であるぞ。手出しは無用なり。」
 
いろいろと我々お得意の妄想を交えてみると、まずもって、年末オオトリの儀式なのだろう。
大事な儀式であるのだが、それが何かの不可抗力で進行が遅れていたのではないか。
 
そして明日は初詣!
そこで全山の僧侶が儀式の進行を急いでいるのではあるまいか?
遅れは少しではないため、こうなったら閉門時刻前だが、扉の閂かけて始めちまえ!
われらに一瞥もせずに、お堂の間を突き進んでいく姿は、それしか考えられまい。
 
ならば、プルプルされているご住職にも手を貸せば?と思うのだが、そこは禅寺である。
自らの行も兼ねる儀式であるため、弟子も師匠に手を貸すことは御法度となっているのでは。
ゆえに、進行の妨げになり得るご住職の自力歩行を表情一つ変えず、全山の僧侶はただ待つのである。
 
円飄のいう「ガチ」とはこういうことなのか…。
 
彼らが「道場」と銘打たれた建物に消えて行ったため、われわれもようやく帰路につくことに。
石段を下りて、先ほどの土産物屋のご主人に「ええもん見れましたわ!」と報告し、ギリでバスを捕まえる。
 
派手に揺れるバスにて八日市に戻ると、日もとっぷり暮れており、2017年最後の料理は鳥と相成った。
まずは前半戦の終了である。

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