プロローグ

『世界地獄旅行案内』というおどろおどろしい見出しが、視覚に飛び込んできた。落合信彦が執筆人に顔を連ねる体育会系国際雑誌「サピオ」である。「お薦めしません」というサブ見出しの茶目っ気ぶりは、鈴木宗男の北方領土発言・北朝鮮拉致疑惑(もう事実となっちゃった)などで右傾化する世論をバックにした棚ぼた的余裕なのだろう。

思わず、買ってしまった。

(パキスタンやフィリピン・ミンダナオ島など、私(空石)が青春の足跡を記したところが『地獄』と記されていたことに、いささかの誇りと寂しさを同時に感じた。)

家に帰ると、インドの荒涼たる砂漠が映し出されていた。ネパールのルンビニーから出立した大仰なTV番組は、釈迦の一生をうむを言わさず描写していた。が、3月に終わる『知ってるつもり』が、スペシャル番組をやっているのだ。内容はなかなかテンションが高かった。布教に行かんとする弟子に、「かのちで反対に遭い、殺されてしまったら?」と釈迦が問い、その弟子は、「この身を離れることも難しい中、我執を取り除いてくれたかれらに感謝します」と答える。「もうお前に教えることはない」と釈迦が告げる。番組はここで、すかさずガンジーの非暴力運動を紹介する。

エンディングには釈迦に影響を受けた人たちの言葉が静かに朗読される。このスペシャル番組をどれだけの人間が、共感を持って正視できたのか考えるにつけ、ディレクターの度量に最大級のレスペクトを贈ろう。ゲスト・立松和平の独善的善人ぶりは、パンク泉谷しげるさえも圧倒していた。釈迦の永遠なる普遍性を称えるには加山雄三のにやついた笑顔では、言葉足らずであったろう。恐らく、泉谷は打ち上げで大暴れしただろう。あの番組は、茶化しのコメントなど入る余地もなく、ただ白痴のように釈迦の偉業を賞賛する以外なかった。(釈迦は偉大であることは事実だが・・・)

すがすがしい気持ちでノートパソコンを開ける。ヒットしたのが、狂える天才みうらじゅんの電脳見仏記。以下に引用。

「今日の見仏は通の世界だね。」
 「これ、観光じゃないもん。必ず見られるって保証のないものじゃん。」

てな会話で彼らが目指したのが滋賀の古寺。目の付け所が、みうらの旦那ですわな!わしらもう行って来ましたで!滋賀の金勝寺(我らの認定第一号の地獄)。願わくば、寺見ただけで引き下がらずもうちょっとサバイバルして、狛坂磨崖仏まで堪能してほしかったですなあ、みうらの兄貴!そして、あの日がとっぷり落ちた中、腰まで伸びたシダを奥駆けしてもらえれば言うことなし。

これからの見仏は、命がけでっせ!


さあそろそろ、語り始めなければいけないであろう、あの話を。前に戻って前述の雑誌だ。

サピオは熱く訴える。国境なき恐怖に囲まれた日本人に対して。「・・・本誌はあえて『地獄旅行』を提案してみたい。無論、軽々にお薦めするつもりは毛頭ない。ただ、自分の感覚を極限まで研ぎ澄まし、智恵を振り絞る旅は、インターネットでは味わえぬ五感がしびれるような経験をさせてくれることは間違いない…。」

前文に続いて、イラン・イラク・北朝鮮と紹介がなされていく。これらの国を地獄と言い切るあたり、発想は「悪の枢軸」とのたもうた、どこぞの低俗な大統領と変わらないのだが、この内容では行く馬鹿もいなさそうだから安心するとしよう。ひるがえって、我々の旅にパスポートはいらない。(今後必要となるかもしれないが・・・。)我々の地獄は『自信を持ってお薦めする地獄』である。

ときは、2001年に遡る。12月の大晦日。京都か奈良かわからない、ややこしいところに位置する学研都市の実家に帰ってしばしの休息を楽しんでいた。しかし、じっとしているのも性に合わん。思い立って、京都の醍醐寺を訪ねた。広い境内は、空っ風が吹いて枯葉が揺れている。閑散としているが、大寺の風格であろうか。凛とした雰囲気があたりを包んでいる。

巷は晦日の最後の追い込みといったところであろう。賑々しい俗世から身を遮断し、仏にまみえる幸せ。ちっぽけな虚栄心に赤らみながら、酔狂の人・秀吉が史上最大の花見を行った庭園を通り抜ける。廊下を奥に進んでいく。そこに天才仏師・快慶が作った弥勒菩薩坐像があった。小作りで優美なお顔は快慶仏そのもの。そこには均衡の取れた完成美がある。運慶とともに上りつめた鎌倉仏師界の境地。それを誇示するかのような力をこの仏はもっている。「われを崇めよ!」快慶の自信が小さな小像から静かに立ち上がっている。畏敬の念を持って、両手を合わせて、三宝院を後にした。

来てはじめて知ったのだが、醍醐寺は上醍醐と下醍醐に分かれている。(本当にでかい)本堂や五重塔があるのは下のほう。修験道でも有名な(後述する)この寺は本来上のほうがほんまもんの醍醐寺なのだ。

そもそも、寺の起こりはこうである。開祖・聖宝がこの山に登っていると、老翁が岩間から流れる霊水を飲み、「ああ、醍醐味なるかな」といったのが名前の由来。(醍醐とは、釈迦が苦行を終え、命絶え絶えで下山すると、長者の娘が牛乳を差し出してくれた。このおいしさに感激するとともに釈迦は悟りを開いた。転じて醍醐とは最上の教えをいう。)老翁はこの山(当時笠取山)の神様で、聖宝は老翁の教えに従い庵を結んだ。それは山のずっと上のほうに属する。

また、この寺は西国三十三ヶ所巡り最大の難所といわれる。杖にしがみつきながら登る老人たちの姿は、信心が見れるだけに神々しくもある。老人殺しの急坂。別名天国への階段(度が過ぎますなあ…)。どっちかといえば、登山コース。こんなところに試練を隠してくれているとは、仏様も罪深い。そんな簡単に甘酒飲まれちゃ困るのよ。ええい、しゃらくせぇ。今年最後の力を振り絞り、頂上を制覇した。

これで、今年の地獄おさめかと思いきや、甘かった。

境内に、古びた鳥居がポツリ。道しるべには、次の札所岩間寺とある。滋賀県だぜ、そこはよ。聞けば、ここからさらに山2つ超えるらしい。修行の道は実はここからだったのだ!頂上の寒風が身にしみる。細い鳥居が結界に思えた。

そんなに地獄は甘くない。リベンジを誓い、鼻水をすすり下山した。

…なるほど、そういうことですかい、仏よ。このようなぶっ飛んだ獣道は、我がキグルイ仏友と二人で苦しめ、と、こう仰るわけですな。御意。

こうして、我らの2001年最初の地獄札所が決まった

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