東京文京区寺散策(2002年9月)

先週の水曜日、その前の北海道旅行から帰ってもう2日東京(駒込)に留まり、書籍執筆の企画・構成を助けるなど、医療系の仕事を夕方前までやっておった。その後、自転車で帰る途中に、寺・仏像巡りを10ほど敢行したのやが、そこで偶然面白い縁があったので紹介。

「目赤不動」として有名な南谷寺という寺があって、そこの不動明王像は(明王系が大好きな俺としては)かねがね拝みたかったのやが、ようやくそのチャンスがあった。迫力がありえらい面白く、思わず護摩木に願いを書いて100円払い、火炎印組み慈救呪を唱え、とても有意義やった。また行かせて貰う。

そして隣の「養昌寺」に行こうとすると寺門に「能率の父 上野陽一先生の墓」とあるではないか。どこかで聞いたことのある名前だ…と思い、中に入った。先ず目に付いたのが東京・大阪では非常に珍しい俺の苗字の先祖代代の墓。少しびびるが、そこを横切り中に入っていくと、果たせるかな、ひときわ大きな墓があり、そこにこの墓に入っておる人物の経歴などが。

そう。俺も入っている(独立系コンサルタントの団体・経産省認可)の某団体創立メンバーの一人で、私財を投じて産能大を創設したかのお人や。知ってるけ?そう言えば、その会のサイトに行ったときに、俺がその名前を記憶していたのやな。上野氏の専門が俺と同じ心理学やったということを始めて知り、また、私財を通じて設立した大学が俺の父が通信課で出た大学やということで、なんか一挙に親しみが増した。妙にほっとする出会いやった。

元来が「学者肌」ということもあり、当初の渡米目的が「日米両大学での心理学の研究と指導」でもあって、かつその言葉や論理の使い方からその点をよく他人にも指摘される俺は、ゆくゆくは実学・理論双方の見地から大学機関で非常勤/客員講師などを複数行い、何らかの形で「理論化と教育」に携わりたいと思ってきた。今も思うておる。

その可能性の1つとして産能(短)大などはぼんやりとしたオプションとして以前から目標にもなっており、そういう文脈からも、この日の上野氏の墓との出会いは、数学的見地から見ればただの偶然なのやが、何か楽しい確率のいたずらのような気がして嬉しかったのやね。また行きたいね。

それにしても、昼間の喧騒から少しずれたところにある都会の寺院、或いはその背後にある墓をゆっくり歩く。いいねえ。心が和むねえ。こないだも、「俺はほんまに爺やな」とまじで思うたわ。「好きな場所は?」と聞かれて「昼間のお墓」って、何人が引かずに聞けるねん?うーむ。素晴らしいな。

枯れすぎかも知れんな。まじで45歳の人が、ガキに見えるからな。高校時代に25の社会人がガキに見えて仕方なかったもんな。若年寄。大いに結構。大乗仏教のせいにしておこう。俺らが日本仏教にカツいれずに、誰が入れる?

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