遠州紀行①~見てはいけないもの~(2015年12月・静岡県袋井市・可睡齋)

夏休みを12月に取るって、どうなんだろ?
休めるだけましと、前向きに考えて、寺に参ろう。
 
可睡齋という寺に行きたいと思っていた。
名前は聞き慣れないだろうが、れっきとした専門僧堂もある曹洞宗の大寺である。
いわれは、徳川家康が命の恩人でもあるお寺の仙麟和尚を浜松城に招いたとき、こともあろうに和尚が目の前でコクリコクリ。周囲はこの無礼にヒヤヒヤものだったが、当の家康は目尻を下げて、「睡(ねむ)る可(べ)し」と笑って許した。ここから、寺が可睡の号を賜ったという。
 
訪問理由は後ほど明かすとして、偶然にも15日が、火まつりという大祭が行われる日であった。行事に参加するには、寺への宿泊が必須となる。
願ったり叶ったりで、妻の許しを得て、一人で宿泊を申し込んだ。寺務所で名前を告げると、「相部屋でお願いします」とのこと。
障子を開けると、だだっ広い部屋に布団がたたんで置かれていた。
予想はしておったが、平日師走の泊まりで、しかも静岡のマニアックな禅寺。
40歳過ぎの私が最年少であった。
 
夜6時ごろ、タイミング良く、すぐに食事の時間になった。
もちろん、殺生を厭う仏教の教えから、動物性食物を使わない精進料理。
だが、これが実にうまい。山菜なども薄味ながら、どこか味や風味がある。
おかわりなどしなくても、お膳に量がたんとある。食事するだけでも来る価値がある!
 
去年も来られたというメーカーの方が「東司もいいですよ」と教えてくれたので、食後にさっそくのぞいた。東司とはトイレのこと。
そう、私はこのお寺のトイレを見に来たのだ。以前コラムで紹介した。トイレの神様(最後の方で紹介しておる)である。
かぐわしい香りがなければ、トイレと言うより、カラカラテルメみたい。わかりにくいたとえだが、関西にあった豪華リゾート風呂のようだということ。木造の広い空間に、整然と便器が並んでいる。青銅の甕からは手洗い用の水が風流に流れ落ちている。
 
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だが、何よりここに入ると、お目通しせずにはいられないお方がいらっしゃる。
仁王立ちするは、烏枢沙摩(うすさま)明王である。
憤怒の表情で、周囲を威嚇している。
 
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「1滴でも漏らしたら、わかっとるやろな」
出るものも出ないやんか。
ただ、このお方は、世の中の不浄な物を食い尽くすありがたい存在。人糞さえもだ。
よく見ると、左手にしゃれこうべを持ってます。恐ろしいけど、カッコよ過ぎ…。
 
お坊さんは、トイレを使用する際、烏枢沙摩明王の真言を3回唱えるという。
 
オン シュリ マリ ママリ マリシュシュリ ソワカ
 
急いで用を足しにきちゃいけねぇ。真言がおろそかになっちまう。
でも、お坊さんでなくても、ここで放尿すると、
居心地が悪くなり、手を合わせたくなるよ。
だって、ゴルゴ13のデューク東郷みたいな明王様にメンチきられてくんだもん。
 
夜7時過ぎになると、本堂から少し下った参道に集合。
宿泊者にのみ、松明を渡される。行列の用意。ちょっとした優越感に浸れる。おしゃべりが止まらない年配の参加者にもまれながら、境内に向け進んでいく。総門のところで、神妙に火をいただく。松明を手に山門をくぐると、祭に参加している実感がこみあげて、感激である。
 
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境内では、組まれた壇から炎が立ち上り、そこに松明を奉納する。
小雨が降る中、眼前には火炎が渦巻き、僧侶の真言が繰り返される。
チベットで使う「ラグドゥン」ような長いラッパが、「ブフォ~ン」と山内を振動させる。
すると、行列の最後から、異形のものが迫って来るではないか。
 
眼光鋭い天狗のような異形のものがゆっくりと、進んでくる。
 
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迦樓羅天(かるらてん)様である。
このお寺に祀られる秋葉三尺坊大権現様が変化されたお姿という。
霊気を発するように、壇の前で仁王立ち。
 
この世のものとは思えない…。
こりゃえらいところに来てしもた。
が、すでに手遅れである。
火まつりは、小憎いほど細かなプログラムが組まれていて、参加者を飽きさせない。次は火渡りの儀式。字のごとく、火の上を歩く。1年の健康を祈願するためとも、弱き心を焼き尽くすためとも言われる。
 
まずは、修験者が、炎が立ちのぼる道を真言で清める。
火が小さくなってくると、木を半分に割った足場を敷き、その上を参加者が渡っていく。見た目は熱そうである。
ですが、「全然熱くないわ」とのおばさんのつぶやきで安心しました。
 
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それが甘かった…。
行者に手を引かれ、残り火がくすぶる木に、足を置きました。
一歩、二歩…。
そこまではよかったのですが、突然煙が舞い上がり、両目を直撃。
視界を失い、灰に足をつけてしまった。
 
「熱っ!」
 
死にそうでした。瞬間的にはやけどだったと思う。
だが、手を引く行者は「ゆっくりいきましょう」と優しくいなそうとする。
ですが、こちとらも死ぬ思い。とはいえ、途中離脱なんて聞いたことないし、縁起が悪い。引きつりそうになりながら、火の道を歩ききり、地べたに座り込んで足の裏をもみ倒した。
 
幸い水ぶくれには至らなかったが、恐るべし火渡り…。
安易に渡るべからず。意を決して進め。
 
宿泊所に戻り、おそばをいただく。
冷えた体に染みわたる。こんなサービスが小憎い。
部屋では、先達が「一眠りした方がいいですよ」と教示してくれる。
ならばと、1時間ばかり仮眠いたした。
 
盛りだくさんのイベントだが、本番はこれから。
11時半ごろに、本堂奥の御真殿に連れ立っていく。
お坊さんも含め、50人ばかりか。
全員そろうと、照明が落ち、秘法・七十五膳御供式が始まる。
BOSEのスピーカーでも出せないような重低音で、太鼓が打ち鳴らされる。
僧侶は「オンピラピラケンピラケンノウソワカ」と真言を繰り返す。
単調な太鼓と共鳴し、それはローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」のサビのようなデーモニッシュな陶酔が呼び起こされる。
 
これはとんでもないとこに来てしもた…。
だが、もう遅い。真言は、お寺で祀られる三尺坊という修験者が変化した秋葉三尺坊大権現を祀るためのものという。三尺坊は、一説に信州戸隠の出身となっている。
秋葉三尺坊大権現は、天狗のように背中に羽根を持ち、白狐に乗って、跋扈した。扇を持つことから、江戸時代はよく起きた火事を消す火伏せの神様として、信仰されてきた。
 
オタクの聖地秋葉原の名前は、この秋葉信仰からきているともいう。
そして、本題の七十五膳御供式。
秋葉三尺坊大権現の手下の75の眷属に供え物をする秘法という。眷属とは、安倍清明が使役した式神様のようなもの。はて、なんで「75」という数字なのか?
 
ネットで探すと、七十五膳を供える儀式は近くのお寺でもあった。
静岡県の西を流れる天竜川添いの光明寺では、七十五膳献供という儀式がある。
笠鋒坊大権現のために行われる。
こちらは、寺の開基の行基の弟子が姿をくらまし、天狗になって姿を現したというもの。昔、大蛇を退治するために、七十五膳を備えたところ、見事成功したという故事によるとされる。
秋葉の三尺坊が、火伏せの神様とすると、笠鋒坊は、暴れ狂う天竜川を制御するための水防の神様と伝えられている。
いずれにしても、七十五膳の「75」という数字は、大願成就のための遠州地方の聖なる数字なのかもしれない。
 
さらに探すと、メジャーなところでも「75」が見つかったではないか!
長野・諏訪大社では御頭祭というのを春に行う。
ホームページによれば、昔は75頭のシカの頭を供えていたという。
子供に見せられないやんけ!
さらにPCをたぐると、愚生が訪れた祭りでもやってるやんか!
11月に愛知県の奥三河で「花祭」という民俗学の宝庫みたいな祭りがある。
これもすさまじい祭りで、昔は七日ぶっ通しでやっていたという。今でも1日夜も通してやり通す。鬼や翁や神様が登場し、地元の見物人も酒に酔っ払いながら、舞に参加する。やけくそでフラフラ。こちらは仮眠でもしないとついていけない。
地区ごとに「花祭」があるのだが、私は東薗目と月地区を見たが、
ここにも七十五御膳がある。こちらは神様を招くために、この数の供物を捧げるという。こう考えると、「75」を尊ぶ文化圏が古来には存在したのであろう。
今の世の中では、ピンとこないが…。ちなみに下が花祭のワンシーンだ。
 
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「初もの七十五日」という考え方があるそうだ。
その年の初ものを食べると、寿命が75日延びるという昔からの言い習わし。
これは、種をまいてから、芽が出るまでが約75日ということから来ているとも言われている。七十五膳の「75」もそのあたりから定められたのでは…。
 
話がそれまくっているが、先日「第十四世マタギ」(甲斐崎圭著)というマニアックな文庫本を読んでいると、今度は「十二膳」なるものが書かれていた。
これは、東北地方の猟をなりわいにするマタギの話だが、彼らは山の神を十二様と言い習わす。山の神は女神で1年に12人の子供を産むため、12の供え物がなされるという。数が多ければいいというものではないが、大自然の力を借りようとすると、1つより多数という考えから、「七十五膳」とか「十二膳」とかいう儀式が生まれたのであろう。これは、仏教発でなく、日本土着の思想である。
 
さて、先の秘儀のことである。われわれの前では、緑の法衣をまとった僧侶が、ロボットのように寸分の狂いもなく、供物を取りに来ては、外の奥の院に運んでいく。多分、75回同じ所作を行うのであろう。
彼らを別火寮と呼ぶ。
儀式を行う者は、10日前から水行などで身を清め、食事も僧侶と別々に取る。別の火で料理を作るから、別火寮。
お水取りの練行衆と同じである。本サイトでも触れておる。
ただこの火まつりが、お水取りと決定的に違うのは、秘法感。お水取りは、神秘的な印象を受けるものの、すでに歳時記として大衆化され、安心して観賞できる感覚がある。だが、この秘儀は、ざわざわと胸騒ぎがしてくるのだ。
自分の内側に眠っていたものが、棍棒でたたき起こされるような…。
お水取りのときにも書いたが、やはりこれは仏教的な行事ではない。
 
あのときとは少し違った考えを述べたい。
火を祀るというと、拝火教のような異教を想像するが、
日本も太古の世から、火を祀り、畏れる思想があったと考える。
火が恐ろしくパワーを持ったもので、それゆえに畏れなければならないという考え。だからこそ、身を清めるなど、不条理なほどの面倒くささを乗り越えて、火伏せの神様に祈りを捧げる。火の力をお借りするため、そして火の力に祟られないために。
 
漆黒の闇の中で、われわれは眷属が食したおこぼれを授かる。
どぶろくや小豆のようなものをほおばる。
腹の底で何かがかき回され、浄化されていく。
けたたましい太鼓と真言に包まれるのは、午前0時ごろ。
明かされない秘儀が終り、部屋に帰り、また仮眠。
 
午前6時からの御神輿還御という最後の儀式が始まる。漆黒の闇が次第に明け、透明の青に包まれながら、御神体が還っていく。朝食のとき、「来年来られるかは…」と話していた御仁がおられたが、裏を返せば、「また来たい」という表れである。
私も強くそう思う。見てはいけないものを見てしまった1泊2日。
そんな密度の濃い禅寺の1泊だった。
 
可睡齋
 静岡県袋井市久能2915-1
  JR袋井から秋葉バスで可睡下車すぐ
 ☎0538-42-2121

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