密教と戒律の恐るべき融合(2022年10月・奈良・西大寺)

僧侶や在家信者が守るべき「戒」について知る重要な2つの寺院がある。
いずれも奈良にある。

まずは唐招提寺。

759年に唐から来た鑑真が開いた。
詳細は、井上靖が小説「天平の甍」で扱っている。
その甍は現在も宝物館でみられる。
地肌の土がけばだってはげている。
困難な渡海で失明した鑑真のごとく、甍は長年の風雪に耐えてきたことをけなげに物語っている。

寺の土産コーナーには、ハート型のうちわが売られている。
これこそ「戒」を物語る代物。
中興の祖といわれる覚盛(1194-1249)は、真言律宗の叡尊と志を同じくしていた。
「鑑真の再来」と言われたともwikiにはあった。
こんな逸話がある。
覚盛が蚊に刺されていたとき、弟子が蚊を叩こうとすると、それを制して言った。

「血をあげることも布施行じゃ」

不殺生戒の極みである。
そこから覚盛の命日、5月19日には、蚊を殺さないですむようにと作られたうちわをまく行事が行われている。

次は、真言律宗の総本山西大寺に向かう。
こちらは764年に孝謙上皇が藤原仲麻呂の乱を鎮めるために、建立を思い立ったのが始まり。
近鉄西大寺駅から歩ける場所にある。
普段からのどかなところだが、「花束は置かないでください」の張り紙。
安倍元首相が22年7月8日にこの地での演説中、凶弾に倒れたことでもの言いたげな空間になっている。

それは置いておいて、秋のこの日を待っていた。
西大寺では10月3ー5日に、「光明真言土砂加持大法会」が昼夜執り行われる。
同寺最大の法会という。
いかついネーミングである。説明が必要であろう。
西大寺を再興した叡尊は当初密教僧でもあり、光明真言を重視していた。
そして、死者に光明真言で浄めた土砂をかけると、往生できるとした。
1264年に始まる「光明真言土砂加持大法会」である。
戒律を守る律僧と、密教の融合が極楽往生をもたらす。
こりゃ、最強だわな。
他力本願の浄土真宗といえども分が悪いか…。

法要の見どころは夕刻からだった。
読経に阿波あせて、僧侶による「提灯たたみ」の礼拝が行われる。
楽人が集まり、鉦などを吹く。雅な空間におりんの澄んだ音が響く。
そして、光明真言が唱えられる。
この光明真言が独特で、恐ろしく一字一字を間延びさせて23文字を唱える。
ご奉仕の方がくれた譜面には、光明真言「オン・ア・ボ・キャ…」の1音ごとに、上がったり下がったり、伸びたりする。
奇妙なイントネーションが記されていた。

すると、ねずみ色の衣の若い僧侶が1人、よろよろと身体を動かしていく。
スローモーションのように。
止まっているようにみえて、これで五体投地の行を行う。
ヒザを曲げていくときなど、片足が小刻みにプルプルしているのがわかる。
おそらく、脂汗もでているだろう。
見ているこちらが息苦しくなってしまうほど、大変そうな礼拝である。
これが「戒」と関係するのかはわからない。
ただ、苦行を付与された土砂は、さらなる功徳があるようにも思えてくる。

実際時計で計ると、7分20秒もかかっていた。
こんなに時間をかけてたった1回の五体投地を行う。
「提灯たたみ」の行、恐るべしである。

帰り道も余韻でこちらの身体がプルプルしているように感じる…