ゴジラは世界の窓口、若狭を目指す~福井紀行~(2021年8月)

タイトルはほっといてください。
そのうちつじつまを合わせます。

福井県の西部にある小浜に行きたいとずっと思っていた。
日本海に面したある意味田舎にあるのに、古刹がうじゃうじゃしている。
せまいエリアに、明通寺、羽賀寺など美仏が密集する寺院銀座なのである。

ずっと思ってたら、行けばいいじゃんと思われるだろうが、
なかなかこれが行きにくい場所にある。
京都からだと湖西線で近江今津あたりから北上。
わが滋賀県湖東地域からだと、直線ではそう遠くないのだが、
琵琶湖があるため、敦賀に一度出てから小浜線で西へと大回りになる。

敦賀から始めたい。
JR駅を降りると、こぎれいな待合室に「北陸新幹線延伸」と謳われている。
2023年度末に金沢から敦賀までがつながるという。
それがどれほどのにぎわいをもたらすのか。
まちを出ると、商店街の屋根が続いている。
コロナの影響か、営業している店は少なそうだが、通りは長く、規模は大きい。
原発マネーのおかげかなと思ったが、それだけではなさそう。
敦賀は昔は栄えていた。駅から北の海の近くにある敦賀鉄道資料館に行けばわかる。

瀟洒な洋館は、かつて港に面した旧敦賀港駅舎だった。
つまり海に近いこのあたりまで鉄道が走っていたということ。
なんのために?
船に乗るのである。
日本海に面した駅の港には、1912年からウラジオストクへの定期航路が開かれた。
そこからシベリア鉄道を経由して、なんとパリやロンドンへ。
飛行機のない当時は、船で約1カ月というところを
2週間余りで東京とパリをつないだ。

右にあるのが鉄道駅

資料館では「東京―ベルリン」の切符も展示されている。
飛行機全盛の世の中だからこそ、価値のある資料だ。
敦賀は東京からの欧亜国際連絡列車と同連絡船の経由地としてにぎわった。
当時の駅名は金ヶ崎だった(1919年から敦賀港駅に)
1912年ストックホルム五輪では、マラソンの金栗四三がここから出国。
NHKの大河ドラマ「いだてん」でもそれが取り上げられていたとか。
1932年には外務大臣松岡洋右が国際会議出席のため、敦賀港からジュネーブへ。
満州権益で国際社会から孤立していた日本が、結果的に国際連盟脱退のきっかけとなった歴史の一コマにも登場。
来日したチャップリンも敦賀から日本に上陸したという。
人道支援の舞台ともなった。
第二次世界大戦時、リトアニアの領事代理杉原千畝が人道主義から発券した「命のビザ」で
ナチスから逃れたユダヤ人は、敦賀から日本を経由して第3国へ亡命した。
それを示す資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」も建てられている。
駅を降りると、船が汽笛を鳴らし、港の向こうには海外が広がっていた。
なんとも夢をかき立てられる話ではないか。かつての姿をとどめるものは資料館ぐらいだが、
今の敦賀駅前の商店街には、メーテルやら星野鉄郎やら銀河鉄道999の像が並んでいるのは、
敦賀開港100年を記念して設置されたとか。
そこまで想像力が働くのは、よほどの鉄道ファンだけであろうが。

敦賀からレンタカーを借りた。
日本海側の道路だが、山側を通るため、海が見えることはほとんどない。
往来の少ない道を西に進むと、明通寺にたどり着く。
境内を奥に上がっていくと、県内唯一の国宝という本堂と三重塔が現れる。

古刹と呼ぶに値するた静謐なたずまい。
風雪のためであろうか。木造部分が白く朽ちているところも赴きがある。
参拝客は私一人。
若い寺守りさんが本堂で仏像などの説明をしてくれた。
堂内は灯が少ない。ひんやりした空間の脇侍の降三世明王がなまめかしく映った。
強面の形相でにらみつける平安仏は、2.5mもある。
この仏を拝むだけでも価値がある。
改めて三重塔を仰ぎ見ると、静かな迫力を感じる。
小京都といわれながら、京都市内にはもう少ない神聖な空間がここにはある。
コロナがなければ、秋頃に塔内部のご開帳があるらしいが、今年はどうか。

受付は住職とおぼしき方に替わられていた。
あとで知ったが、この方こそ原発反対運動の闘士、中嶌哲演さんだった。
原発銀座の福井県で、原発反対の立場から、何度もハンガーストライキを敢行。
小浜に発電所を建設させなかった。
ちなみに福井県には1970年に敦賀に1号機が設置されてから、
美浜、大飯、高浜に15基も原発を作っていった。
これは日本の原発の4分の1にあたる。
むろん原発で手にする交付金のためである。

勝手な思い込みだが、原発といえば、怪獣のゴジラである。
1989年の17作目となる「ゴジラVSビオランテ」では、核エネルギーを取り込むため
ゴジラが原発が乱立する若狭湾に向かうシーンがある。
結局阻止されたのだが…。
上陸した大阪の京橋にあるツインタワーはむちゃくちゃに破壊された。
だがウィキによれば、所有する松下興産は「ゴジラに壊されるなら本望」と快諾したという。
人気映画に登場すれば、格好のPRになると考えたのか。
ちなみ、私が幼少期に遊んでいた一帯も見事に破壊されておった。
最近では「シン・ゴジラ」なるものが公開されたが、初代は1954年。
まだモノクロの映像だが、それだけに恐怖映画っぽい迫力がある。
ゴジラのたどった足跡から核物質を測定するシーンがあるのだが、
もう「ガイガーカウンター」という言葉が映画に出ている。
当時は敗戦の記憶が色濃い中、水爆実験が太平洋で行われ、
被爆した第五福竜丸のことが国内問題にもなっていた。
オチを言ってしまうと、
ゴジラは芹沢博士が開発したオキシジン・デストロイヤー(プロレスラーみたいだ)で
骨と化してしまう。
ゴジラはそもそも核でよみがえり、人間を恐怖に陥れたが、
3.11では自らが作った核に人間が苦しめられるはめになった。
なんたる喜劇か。

3.11が起こったとき、明通寺が注目を集めたことを覚えている。
当時、関西の市民団体がやたらと「原発に頼らない自然エネルギー」ということ言い出し、
その実践例が明通寺の小水力発電だった。
老僧にそのことを向けると、「あれは息子が…」とボソッと話された。
先に案内してくれた方が、息子さんなのだろうか。
そちらの話もじっくり聞きたかったかな。

明通寺から車で10分のところに若狭神宮寺がある。
8世紀には前身の寺院があったという古刹。
本堂の前が芝生になっており、きれいに刈り込まれている。

唐突だが、この寺は奈良とつながっている。
奈良の東大寺では1200年以上続く不退の行法「お水取り」が行われる。
それに先立ち、神宮寺では毎年3月2日に「お水送り」という行事が行われる。
東大寺の「お水取り」で使う霊水を地下を通じて奈良まで送り届けるのだという。
言い伝えでは、若狭の遠敷(おにゅう)明神が釣りに夢中になり、
「お水取り」の舞台となる東大寺二月堂建立を祝い、全国の神様が集まる法要でただ一人遅刻。
わびとして遠敷明神が「お香水」といわれる霊水を毎年送る約束をしたことによる。
謂われはいささかコメディータッチだが、
夜に行われる儀式は、白装束の僧が厳かに行い、神秘的であるという。

この祭りのいいところは、舞台となる鵜の瀬までの松明行列に一般人も参加できる。
当日参加もOKというから、お水取りのように人であふれることはないのかもしれない。
それにしても、若狭と東大寺の関係は唐突のように思える。
ヒントは鵜の瀬にたたずむ石碑にあるのかもしれない。
「良辨和尚生誕之地」とある。

良弁(良辨)は奈良時代の華厳宗の僧侶で、この地の出身。
赤ん坊のときに、母親が目を離した隙に大鷲にさらわれ、
二月堂近くの杉に運ばれ、そこで僧侶に育てられたという伝説がある。
当時東大寺はなく、前身の金鐘寺があった。
その後高僧として名を上げていき、751年に東大寺の初代別当に就任した。
この関係が、「お水取り」と「お水送り」につながっていると思われる。
「お香水」も境内の井戸からあふれており、飲むことも出来る。
恭しく柄杓ですくっていただいた。

本堂にある仏像もいいが、私の押しは朱色単色で印刷された由緒書き。
のっけの説明から、「若狭は朝鮮語ワカソ(往き来)が訛って…」とある。
東大寺の奈良も「朝鮮語ナラ(都)」が語源と記す。
そして、古代に大陸文化はこの地から入ってきたとする。
神仏習合の神宮寺で、ここまで明確に朝鮮文化を親と明記する記述は他にないのではないか。
ヘイトスピーチなどがお好きな向きには、読めば血圧が上がること間違いない。
でも、たぶん日本文化と呼ぶものの基層は、中国や朝鮮から流れてきていると感じる。
時代を経ると、逆もまたしかりだと思う。
だからどちらが優れているとかで目くじらを立てることでもない。
ただ大陸とつながっていた小浜の地から、「お香水」と呼ばれる波動が
1200年前からヤマトに送られていたのは、驚異ではある。

そろそろ宿に向かう頃か。
市内から少し離れた海岸沿いの民宿なので、紹介された寿司屋で腹ごしらえ。
回転寿司なのだが、魚のネタの大きさと鮮度が海なし県の滋賀とは違った。
3000円弱の値段に大満足。スーパーで食料を少し買い込む。
あれだけ騒がしかった五輪も終わり、店頭でははや公式グッズがたたき売りされていた。
世久見(せくみ)という集落は、漁村の風情。宿の前はすぐ夜の海が広がっていた。
宿は「カメムシが出ます」と手書きで書かれ、「くさいです」との忠告もあった。
親切すぎて苦笑い。ちなみにカメムシは現れなかった。

朝に人の良さそうなおかみと話した。
港からすぐに、鏡餅を円錐形にした美しい無人島が見える。

7月には船を出して、弁天さんの祭りを行うという。
島には祠があり、当番があるという。
戸数も減少のため、2カ月に一度島に船を付け、山道を通って、お供えを持って行く。
原発の話もされていた。
小浜市や若狭町には原発がないが、隣の高浜町や美浜町にはある。
なにか事故があっても、高浜や美浜は漁業補償が出るが、若狭町はないという。
若狭町のHPを見て驚いた。
市民向け広報にある

「万が一にも原子力発電所で事故が起こり、放射性物質が大量に放出、あるいはそのおそれがあるとき」とある。
そのときは兵庫県の三木市など8市町や福井県越前町に避難するのだという。
ちなみに、原発がある高浜町も住民避難計画なるものが策定されている。
こちらは県外だと宝塚市などが避難場所となっている。
さらに断層があり、震度6程度の地震が起こる可能性をあらわした「ゆれやすさMAP」なるものも製作している。
これだけ細かく避難の手引きが用意されていると、かえって不安になる。
福井県の教育水準が高いのは、原発マネーを教育分野にまわしているからだとも聞く。
そうであれば、これからの人には原発のいらない世の中を創造してほしい。

2日目の1番寺は、羽賀寺である。
716年に行基が創建とある。十一面観音立像は全国的にも有名な美仏。
ありがたく拝ましていただいた。
受付の方が面白い話をプッシュしてきた。

「この前鳳凰が現れたんです」

スマホをのぞくと、インスタに鳳凰の形をした雲が写っている。
確かに鳳凰だ…。
彼女曰く。

「この寺のいわれが、鳳凰が羽を落としていったことを聞いた天皇さんに由来している。
創建に鳳凰が関わっているんです。折しも雲を見たのは、昨年の本尊の観音さんの縁日」

奇跡が寺に訪れたということなのであろう。
でも案外、自然とよりつながっていた昔にあっては、
龍や鳳凰の雲が、伝説のよりどころになっているのかもしれない。
この寺にはもう一つ面白いゆわれがある。
OBAMAの寺なのだ。
は、当たり前やろ。いやよく見ていただきたい。英語ですよ。
パンフレットからパクります。
2006年で当時米国大統領候補だったオバマ氏をニュースで見た住職が、手紙を出して交流しようと思いついた。
市長が手紙と特産品の若狭塗箸を贈り、国内で話題が沸騰。
2008年に「オバマ候補を勝手に応援する会」が立ち上がった。
大統領就任が決まると、日本のマスコミがこぞって取材攻勢。
そのときのことは私も覚えている。
オバマまんじゅうとかいろいろあったような。
オバマ氏は2016年に、現職大統領として初めて広島を訪れた。
17年の退任の際にも、市は感謝のイベントを行ったという。
ただ彼自身は、まだ小浜には訪れていない。
本人も小浜市のフィーバーは聞かされていただろう。
一度でいいから、彼には死ぬまでに小浜の地に足を運んでいただきたい。

コロナ感染者の影響で、楽しみにしていた「若狭三方縄文博物館」は閉館だった。
敦賀への帰路に、梅の里会館なるものがあった。
「梅は和歌山」と信じ込んでいたが、福井の梅も食べるとなかなかのものであった。
収穫量でいうと、半分以上の和歌山がダントツだが、
福井も2020年では群馬に次いで全国3位と健闘している。
妻はJAの梅ドリンクがうまいといっている。
「五湖と梅・自然と遊ぼう 縄文の里三方」と昭和のロゴで書かれている意味不明のデザインは
周回遅れでアナログ感がクールかも。お味はすっきりといえばスッキリかな。
福井以外では売っていないと思うが、最近は「ふるさと納税」で手に入る。
私もそれでまた手に入れた。

JR小浜線の三方駅の近くに「三方石観世音」という寺がある。
空海ゆかりというので、寄ってみた。
「弘法大師の片手観音」というゆかりありげな観音様がおられるという。
山道を遮るように、岩があり、そこに鶏の石像がのっかっている。

シュールな風景に、ただならぬ期待が膨らむ。
風格のある本堂に入ると、お厨子の前にお前立ちの観音さまがいる。
片手がない初めて見る造形だ。
檀家の方に教えていただいたが、厨子の向こうは岩窟になっていて、
本尊は岩に彫られた観音さんだという。
(あとでお堂の後ろを拝見すると、なるほど岩がむき出しになっていた)
諸国を行脚していた弘法大師が、三方にあった花崗岩に観音様を一夜で彫ると考えたが、
鶏の鳴き声で夜明けを知り、右手首の先だけを完成させずに、下山された。
これが「片手観音」の由来といい、
このため手足に病気を持つ人に、ご利益があるとされる。
面白いのは、この寺のシステム。
本堂には、右手と左手をかたどった木型が置かれている。

痛い方の手の板を持って帰って、家で祈願するという。

「おいくらぐらいですか」と問うと、

「いやいや、直ったら700円を納めに来ていただければいいんです」と寺の方は笑う。

言い方は悪いが、「直らなければお代はいただきません」という良心的システムなのだ。
太っ腹ではあるが、結構な田舎にある寺ゆえ、老婆心ながら直ったらほったらかしの不届き者の心配もする。
だが、結構な人が全国から訪れて、感謝のお代を捧げていかれるという。
効能に自信があるゆえの太っ腹ということか。
天井にはギッシリと提灯が並ぶ。
賽銭箱の上の提灯には、歌手五木ひろし氏の名前があった。
彼は美浜町出身という。
先日、どこかの新聞社の連載で五木氏の連載があった。
この若狭時代に触れており、幼少期は親の離婚もあり、極貧だったと記されていた。
少年の目にこの若狭はどう映っていたのか。
そして、隣の提灯には川藤幸三とある。彼も若狭の出身。
阪神タイガースで代打の切り札として活躍した「浪速の春団治」である。
もっぱら代打稼業。覚えているのはクビになりかけたときに
「給料はなんぼでもいいから野球をやらせてくれ」との名台詞で現役を続行。
虎党の心を打った。
1986年に最初で最後のオールスターに出たとき、長打で二塁をねらったが、
鈍足で二塁アウトになったことが記憶に残っている。
YouTubeで当時の動画を見ると、アウトになった川藤に球場のファンが拍手を送っている。
二塁手の近鉄・大石大二郎がそっと記念のボールを渡したのもいいシーンである。
こんな選手をファンは熱く応援した。


山道にあった鶏の話もしよう。
空海を下山させたのが、門前にいた鶏殿である。


「鶏の鳴き声がしませんでしたか? 今でも鳴くんです」

くだんの檀家さんが大まじめに教えてくれた。
感じる人は聞こえるといい、幸運が訪れるという。
残念ながら私には聞こえなかったが…。
小浜の美仏攻撃と異なり、素朴な信仰心に温かいものを感じた。

まだ時間があったので、東に向かう途中にある徳賞寺に入った。
通りから入った若狭国吉城歴史資料館の奥にある寺である。
16世紀創建というから、若狭付近では新しい禅宗寺院である。

小雨が降っていたが、
建物だけでも…と思い、寺務所の呼び鈴を鳴らした。
キビキビとした動きの男性が現れ、丁寧に説明してくれた。
なんでもここの住職は、相当の画僧で海外にも禅画を出展され、賞も獲られているという。

「見て行かれますか」

2つ返事でギャラリーに通していただいた。
なるほど。達磨大師の水墨画が、ギョロリと部屋を制している。
有名な寺院ではないのだが、住職が手書きで達磨の御朱印を書いてくれるので、
知る人ぞ知るお寺なのだという。
遠方からは御朱印帳が送られてきたり、
そんなことも知らずに直接来ると、
「待っていなさい」とわざわざ筆を取り、書いてくださるという。
律儀な方なのだろう。
寺のHPを拝見すると、住職であり、画僧であったのは大雲道人なる方であった。
フランスの公募展「ル・サロン」に何年も連続で入賞されているとある。
説明を加えると、世界最古とされる公募展は誰でも応募できる。
ただ入賞となると、難しく、外国人ともなると約3割ともいわれる。
ご住職の禅画は国際的にも評価されているのである。
車いす生活で体調がすぐれないとのことで「あいさつできずにすみません」と
丁重なお言葉をいただいた。
こちらが、急に訪問したのでそれはこちらの方に非はあるというもの。
お体ご自愛いただきたいと切に願う。
霧雨の中、敦賀に向かった。

そうそう、寺守さんがいうには、魚はスーパーで買う方がいいという。
地元の方は鮮度にうるさいから、観光客相手のなんとかの駅の魚売り場には見向きもしないという。
なるほどと、敦賀の大型スーパーに入る。
イカを買って帰った。
関西に比べて安いし、新鮮さも抜群のように思える。

敦賀はかつてヨーロッパへと続いていた。
世界的なアイコンのゴジラも若狭をねらった。
大統領選ともなれば、候補者に手紙を送る。
これが世界の窓口といわれるゆえんである。
そこに古刹と美仏が集中している。
こんな魅力的なまちは、もっと評価されるべきであろう。