「寺で」「ヨガ」って必要なんか?(2014年7月)

よう、空石、

最近の寺における「ヨガ」的なものに関しては、まったく同感やな。「なんで坐
禅があるのにわざわざヨガなん?」という疑問をずっと抱いてたが。ヨガが、い
まや普通のスポーツクラブにも登場する市民権を得たところで、「ちょっとお
しゃれ」な感じとして、寺と切り離して、寺への人集めとして導入している感じ
やろな。

本来は、サンスクリット語の「yoga」は英語の「york」の語源、つまり「繋ぐ」
や、精神と身体を。唯識学派を「yogacara」と言うが、それも同じところから。
なら、座禅でええやんけ!という感じでな。せっかく寺なのやから、やはり、そ
こと「繋ぐ」ものも、大乗的な何かでありたいな。

9月はぜひMONK12年目に向けての合宿をしたいのう。俺の仏教体験は少林寺拳法
やってて鎮魂行で般若心経を唱えた6歳に遡るが、本格的な開始は、心経の解説
本を立ち読みした13歳のときやな。30年もんやで。舐めんなよ、後追いのヨガ
followersども!

と言う感じで、今後も濃いくて俺ららしい活動を精進していこうや。