笑い仏さんがコミュニティ新聞「東北復興」に寄稿する!(2012年8月)

●はじめに

あっちに行ったり、こっちに来たり。東日本大震災の被害と闘う福島を目指す「笑い
仏」は、今年6月15日に、生まれた鳥取県倉吉市を出発し、みなさまの善意でいろ
いろなお寺を行脚しています。このたびは、そんな道中での出来事などをお供するMO
NKフォーラムの代表がつづってみたいと思います。

●同じ被災地として

 8月15日現在で、「笑い仏」は神戸市灘区の摩耶山にある天上寺の本堂で逗留し
ています。仏陀のお母さんである摩耶夫人をまつる山寺として知られています。そし
て、このお寺には東北と同じく震災の記憶が刻まれています。1995年の阪神淡路
大震災です。この地震は、神戸に甚大な被害をもたらしました。天上寺も同じです。
お寺への参拝には摩耶ケーブルとロープウェーを使うのですが、落石のため運休。天
上寺は山上に取り残されることになるのです。復旧したのは、5年後。それまで、い
ろいろなご苦労があったといいます。にもかかわらず、当時を振り返る伊藤住職の口
からは感謝の言葉があふれます。自分の身さえままならない方々が「大丈夫ですか?」
と、助けの手を差しのべてくれたそうです。

 被災者から伊藤住職は励まされたといいます。そこで「今度は仏教者としても、み
なさんのために何かできないか?」と、仮設住宅の訪問を思い立ちます。プレハブに
身を寄せていたかたは、日がたつにつれ、心身ともに疲れ、住宅から出ることもなく、
過ごされることが多かった。訪問しはじめのころは「坊主が何しにくるねん。わしら
の葬儀か」と罵倒されたこともあったそうです。しかし、忍耐強く訪問を続けました。

「お日さんが照っているのだから、とりあえず外に出て、体を動かしましょう」。

確かに絶望にうちひしがれるかたがたは、体を動かすのさえしんどい、というかたもた
くさんおられた。それは承知の行動です。そして数日経つと、まずは子供が住職のあ
とに続いた。そしてご老人が。最後には罵倒したかたもその輪に加わった。「よっこ
いしょー」「よっこいしょー」と両手を青空に突き上げた。特に変わったことをした
わけではないのですが、この「よっこいしょー体操」が仮設住宅で広がっていったと
いいます。当然、仮設に少しずつ笑顔の輪も広がっていきました。

ただ、このときも住職がおっしゃるのは、「力をいただいた」ということ。何かした
んじゃなくて、後から振り返ると、生きる力を教えてもらった。そんな気持ちになっ
たといいます。

そして16年後に起こった東日本大震災。もちろん、義援金を募って、被災地に送る活
動はされていました。それから少し経ったとき、この「笑い仏」を福島に届けるとい
うプロジェクトを提案させていただいたのです。もちろん、2つ返事でOKをいただき
ました。このお寺は花の寺として名高いのですが、説法をする際には「この『笑い仏』
を拝んでいただき、東北に思いをはせていただければ」と、話していただいています。

 ●心ひとつに

 行脚するお寺でもう1つのお話があります。8月27日からは、現在NHK大河ドラ
マで放映されている平清盛出家の寺として知られる神戸市内の能福寺に、「笑い仏」
は居候します。行くと一目でわかるのですが、ここには大仏がドカンと鎮座されてい
ます。そして、この大仏にも苦難の歴史があるのです。

 兵庫大仏は、東大寺、鎌倉とともに日本三大大仏として、1891(明治24)年
に初代が建造されました。「初代」といったのは、一度なくなったからです。今度は
震災でなく、人災の最たるものの戦争です。太平洋戦争のおり、金属回収令で、19
44(昭和19)年に取り壊されたのです。神戸を訪れた外国人の名所にもなり、市
民の誇りでもあった大仏が解体されました。そして、戦争に敗れ、焼け跡だけが神戸
のまちに残りました。

 ときは流れて、1990(平成3)年。もう戦時の貧困はありません。ただ、物質
文化が頂点を極め、こころが取り残されつつあったバブル期…。市民の要望で、かつ
ての神戸の誇りだった大仏を復活させようというムーブメントが起こります。最初は
冗談から始まったといいます。それが本格的な実行委員会が組織され、みなにもこの
運動を知ってもらおうということで、発泡スチロールで原寸の大仏をつくり、それを
神戸パレードで行進させました。小さな声が、みるみるうちに大きな声になり、「気
がつけば大仏ができていた」と雲井住職は大笑いします。まあ、「気がつけば」とい
うのは、大げさで、大変な苦労があったと思います。しかし、がむしゃらにことにあ
たり、みなもそれに協力した。その証しが、戦争によって、壊されながらも不死鳥の
ごとく復活した兵庫大仏です。今も人々に温かいまなざしを向けています。

●福島と和歌山

 最後に、われわれMONKフォーラムの活動で知り合ったお坊さんのお話をさせていた
だきます。この方は、ドキュメンタリー映画『GATE』に出演された和歌山県田辺市の
僧侶です。映画は、今も福岡県八女市星野村に残る広島の原爆の火を最初に核実験が
行われた米国のトリニティーサイトに返すというものです。彼はその火をランタンに
入れ、米国を2500キロにわたり行進するのです(もう一度断っておきますが実話
です)。久しぶりに会った宮本先生に、この「笑い仏」のお話をしました。すると、
先生の地元和歌山のことを教えてくれました。

 和歌山県の田辺地方には福島より以前から、原発誘致の話があったそうです。昭和
40年代とのことです。集落は賛成反対で骨肉の争いとなり、ついに推進派が断念し
ました。反対派の主張は明確でした。歴史では何度も和歌山沿岸を津波が襲っている。
今後来ないとはいえない。そのとき、原発は安全を保証できない。当然、原発による
補助金はおりないわけで、和歌山にはさしたる産業も育たず、いわゆる〝発展〟から
は取り残されました。

 しかし…と宮本先生は続けます。「われわれはいまも安全を手にしています。私は
その決断をしてくれた先輩に感謝します」。

 津波などの自然災害を防ぐことはできません。原発設立には当然そのことも考慮し
なければなりません。そして、未来のひとのことも。和歌山と福島の現状は大いなる
教訓になるものだと思います。

 「笑い仏」は道中で、いろいろなことを気づかせてくれます。もちろん、福島への
思いも集めながら、ゆっくりとマイペースで東を目指します。

 本プロジェクトにご賛同いただけるかたで、お心添えをしていただけるかたがあり
ましたら幸いです。