守るべきものとは?(2018年11月・京都市左京区・圓通寺)

仕事で知り合った紳士との会食の席で…。

「迷ったら必ず行くようにしていたお寺があるんですよ」
特にお寺好きでもない人から、こんな話を聞くと、そそられる。
それが自分が行ったことのないお寺であるならなおさらである。
お寺は京都にあるが、地下鉄の北の最果て国際会館駅から、さらに20分ほど歩いていく。妙心寺派の圓通寺。借景で有名な名刹である。
「比叡山の借景が悠大で、心が静まるんです。でもだいぶ昔のことだから、あの借景ってまだ見えるのかなぁ」
先の人物が懐かしむかのようにもらす。
ではこの寺好きの拙者にまかしてくれたまえ。
ということで、バスも出ているのだが、街も見てみようと、国際会館駅から徒歩で円通寺に向かうことにした。
紅葉シーズンとはいえ、京都もここまでくれば、観光客などいない。バスに乗り込んでいくのは、どこかの大学に通う学生ばかりである。
閑静な住宅地を歩いて行くと、見知った方にお会いした。
滋賀県に行ったときに、よくお会いした飛び出し坊やである。子どもの道路での飛び出し事故を防ぐために、設置された愛らしい看板である。
なんでも滋賀県の設置数が全国一らしく、昔はよく見た記憶があるが、都市部では絶滅種である。それはここ京都でも。
素朴な感じが愛らしく、思わずカメラに収めてみた。
ほとんど人とすれ違わない通りを20分ほど歩くと、円通寺に到着した。
pic rakuhoku 02
観光バスなども予想したが、紅葉鑑賞に来た妙齢の奥様方がちらほらおられるだけ。
この季節の京都の寺にしては、恐ろしく閑かで気に入った。
名園だけあって、拝観料は徴収される。
あとから思ったが、500円は妥当だと思う。
現代の京都文化を形作ったとも言われる江戸時代の後水尾天皇が、幡枝離宮あとに造営したお寺である。かの天皇が退位し、上皇のとき息子・霊元天皇や幕府の助けを得て、禅寺として開かれた。開基は霊元天皇の乳母・文英尼である。つまりは天皇の元離宮ということで、格式高い庭園が設けられたといえる。
徳川幕府から妻を押しつけられ(結果的には仲良かったらしいが)、天皇という権力をそがれた後水尾上皇は、唯一許された文芸への道に自らを没入させた。かたや武家の血を認めない公家の勢力に、自らの皇子は暗殺されたともされる。そんな失意の帝はなにを思い、この風景を眺めたか?
潔いほどに、庭園の寺である。受付を少し行くと絶景が広がる。
姿勢を正すと、目の前に苔むした庭が広がる。広々とした感じは、観光客でごったがえす竜安寺の石庭より、落ち着きを与えてくれる。視線を上げると、杉の真っ直ぐな幹の向こうに、わずかに紅葉した木々がかすむ比叡山がそびえる。これぞ借景の妙。確かに、この霊山があって、1つの絵画が完成する。
おそらく、紹介してくれた紳士が当時眺めたであろう景色が目の前に広がっている。
彼はうんちくを聞かせてくれていた。
「中曽根首相が消費税導入を決めるかどうか迷ったとき、そのお寺の庭園を見に来たとも言われています」
決断の善し悪しは置いておいて、この庭園に迷いを忘れさせてくれる力があるのは間違いない。雄大な景色を眺めていると、世間のことなどどうでもいいように思えてくる。
ゆえに覚悟が定まってくるというのか。
ニュースキャスターの鳥越俊太郎が、京都大学時代に何度か訪れたともあった。
わたしはというと、さほど悩みはないのだが、なにかを感じたいと思い、ただただ庭園の前に座っていた。
そんなそばで「カシャ!」というかんに障るスマホのシャッター音の嵐。
おばさま方が、右に左に角度を変えて、借景を切り取りまくる。
そして、さあっと一陣の風が引いていく。
静かに眺めた方が得だと思うのは私だけか…。
かしこぶるつもりは毛頭ないのだが…。
この庭園だけは、撮影可能なので、写真は禁じられてはいない。ただ…。
この借景は戦ってきた。住職とともに。
宅地開発が進む中、この借景の中央に、比叡山を分断するように、マンションの建設話が立ち上がった。
(それ自体が悪いとは思わない。建設業者も仕事なのだから)
そこで、このたぐいまれな景観を守ろうと、住職はじめ関係者が立ち上がった。
この景観を守るために、住職は禁じていた庭園の撮影を許可したのだという。
全国の人に、この庭園のすばらしさを伝えてもらうために。
2007年京都市は眺望景観創生条例を制定し、比叡山の借景が見える角度内での建造物は、圓通寺がある標高110メートルを超えないことを定めた(建ててはいけないとはしていない。寺の前の道路から見ると、こんな感じです)。
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過酷な戦いであったろうと想像がつく。だとしたら、スマホで撮って「ハイ、さいなら」はあまりにも失礼すぎないか? 目に焼き付けるからこそ、このように景観が危機に陥ったときに、景観保護運動にも立ち上がることもできるというもの。
悪意はないことはわかるのですが、せっかくの京都でも珍しいこの閑かな寺で、後水尾上皇が徳川幕府との軋轢で傷ついた心を癒やした景色を堪能しようではありませんか。オバちゃま方よ!
突然、ふすまの奥の方から住職のしゃがれた声が吹き込まれたテープが流れる。
くだんの紳士も付け加えていた。
「テープが流れるんですよね。ただ当時でも聞きづらいものだったので、もうないかもしれませんね」
いやいや、現役のようですぜ。
しゃがれ声に、実に味がある。
ぼくとつの中に、確固たる意志が伝わってくる。
しゃがれ声も、シャッター音もなくなった。
30分して、ようやく一人になった。
迷える御仁、そしてなにより時間の贅沢を楽しめる方にこそ、このお寺をオススメする。
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圓通寺
 京都市左京区岩倉幡枝町389
 地下鉄・国際会議場から京都バス・幡枝下車徒歩12分
 ☎075-781-1875

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