バンコク紀行・上の巻(2017年12月・タイランド・ワット=ポー)

仕事でタイに行く機会に恵まれた。
タイという国は仏教国であるということ以前に、いい印象がある。
 
行ったことは一度もないのだが…。
正確に言うと、立ち寄ったことはある。
パキスタンからのトランジットで。
 
大学の連れと「ガンダーラに行って、ゴダイゴのあの名曲を歌おう!」ということになった。
なんの考えもないアホである。
確かにパキスタンという国は刺激的だった。
ただ1点だけ…。
 
食べ物が激烈にまずかった。
飽食日本人の胃にはハード過ぎた。
まずかったといったが、そんな比ではなかった。
当然、コンビニなどなかった。
腹が減ったので、やっと見つけた屋台の前に立ち止まった。
見れば、定番のサモサがある。
ジャガイモやタマネギを衣で包んで揚げたスナック菓子のような料理。
口に入れた瞬間、2人ともに顔を合わせた。
えもいわれぬ違和感を感じて、もどした。
(食事中の方すみませぬ)
使い倒した油に〝センサー〟が即座に反応したのである。
今でもあれを胃袋まで落としていたら、ひどい腹痛に襲われたと思う。
地元の人は食べるんであろうが、日本人のやわな胃袋は耐えられないであろう。
 
とにかく安心できる食べ物にありつけない。戦争を終えたような市街地で往生した。
お金を出して高級ホテルに行けば、それなりのものを食べられたのかもしれない。
しかし、そこは貧乏旅行。贅沢はできす…。
そして、1週間がすぎた空港での最終日。
 
「最後だけは贅沢しよう!」
 
そう考えたが、空港でありつけたのは、ペラペラでパサパサのサンドイッチ。
(今ではそんなことはないのかもしれない)
絶望とともに、飛行機に乗り込んだ。
(ちなみに、連れは道中でプラムを食べようとして、それを水道水で洗ったら、その水に当たってしまった)
 
トランジットはタイである。
今は別の空港がメインだが、当時の玄関口のドゥンアン空港に着いた。
まあ、あでやかなことったら。東南アジア特有の極彩色の店がある。品物がある。
真っ先に、レストランに駆け込んだ。
そのとき口にしたタイ料理が、絶品!
 
おそらくタイカレーを食べたのだろうが、この世にこんなおいしい食べ物があるとは、と涙を流さんばかりだった。
(先日、モスクワにいた同期が「マイナス30度の世界にいたら、マイナス10度になったら、暑く感じる」と言っていた、あれに近いのかも)
その印象なんです。タイは。
だから、行ったこともないのに、好印象。
 
前置きがいつも通り長くなった。
 
チェンマイにいたときの仕事の部分ははしょって、人生初のタイ紀行のはじまり。
 
まずは…。
せっかくタイまで来たんだから。
一度乗ってみたかったんよ。あれに。
水上バスじゃない。
夜行列車。ブルートレイン!
 
以前、BSの番組でタイの列車紀行をやっていて、それが印象的だった。
ご存じの方もいるかもしれないが、タイの寝台列車は、日本の寝台列車の使い回し。
今では滅多にお目にかかれないブルートレインが運行されておるんです。
なにせ、日本の寝台列車は値段が高い。
(最近豪華列車に拍車がかかり、なおさら庶民には高嶺の花になっておる)
だからタイなんです!
 
あ、すみません。鉄道の話はお呼びでない。
お寺の話もするので、しばらくのご辛抱を。
 
まずは日本で、タイ国鉄のHPにアクセスして予約。
タイ北部にあるチェンマイからバンコクの夜行を予約しました。
18時発で、朝6時30分に到着。絶対飛行機の方が速い。1時間ちょいで着きます。
わたしも仕事ですから、飛行機で行けたのですが、そのブルジョワ・アクセスを回避して、鉄道です。
そんなものだから、簡単に予約できるものと思っていたのですが…。
年末だからなのか、満員!
やはり庶民の足なんだ。確かに1等席は4000円強といえども、飛行機なら2万円とか取られるんだろう。
寝てたら、着くんだから安い方でいいじゃない。
そうなんです。
つまり、日本の寝台列車は高過ぎるんじゃい!
 
チェンマイ駅に着きました。
ちょっと仏教が入ってきます。
 
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これはタイ独特でしょう。
駅では仏像が迎えてくれるんです。
ああ、仏教国の幸せ。
 
発車時は情緒がある。
 
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制服を着た駅員が、神妙な動作でホームに釣られた鐘を鳴らす。
旅に出るって感じです。
 
席の確認のため、PCでプリントアウトした切符を駅員に見せると、苦笑いされました。
どういう意味だろ?
歩いていて、わかりました。
先頭車両で、むちゃくちゃ遠かった!
15両ぐらいあったか。
 
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それにしてものどかです。
ホームの高さがないので、旅行客はレールに降りて撮りたい放題。日本なら大問題ですが、誰もとがめません。
といっても欧米人ばかり。
実際に、列車での旅は欧米人にだけ人気だそうです。
どこ行ったんだろ、日本のバックパッカーども!
 
書いてて、思うけど、いつまで鉄道のことを書くんだろう。でも続く。
ここから、タラップを大股で上がり、車両へ乗り込みます。
キャンセル待ちで滑り込んだ1等車両へ。
2人で1部屋。相部屋は、バンコクの友人に会いに行くというタイの大学生。
 
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シャイで感じのよさそうな学生でした。
先に言うと、私が乗った車両は日本のブルートレインではなく、韓国製の最新車両でした。
少し残念でしたが、それはそれで楽しかったんです。
 
これを見なはれ!
 
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タッチパネルディスプレイがついている。
飛行機にもありそうなやつ。
でもこれは、運行状況がわかるだけではない。
車内で、回転寿司屋のように食事もオーダーできる!
これにたまげた。
テレビで見たタイの列車は、いかにもひなびた感じでしたが、
これは最新車両。しかも、ベッドメークの担当がいて、
ドアを開けると、上段のベッドを引き出し、5分もたたずに上下の〝寝室〟を完成させた。
あの新幹線を掃除するおばちゃん部隊も顔負けの速さやないか!
 
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20時過ぎからベッドメークされ、寝かされるのには、閉口したが、横になっていると、うとうと。
気付けば朝6時だった。
もうそろそろと思ったが、そこはタイの列車。
 
 
 
そんな簡単に降ろさんぞ…。
バンコクに到着したのは、7時30分と約1時間の遅れ。
これぞアジア旅行の醍醐味。こんなこと、目くじら立てることじゃありません。
(そういえば昔、フィリピンの国内を飛行機移動したときには、乗客が足りないため、間引き運転となり、
離陸が半日遅れたこともあったなぁ)
 
ちなみに、タイはバンコク―チェンマイ間で日本の新幹線を採用する計画を数年前に合意したらしいが、採算性の問題でなかなか前に進んでいないらしい。
日本で見られない「0系」とか走れば、ちょっとは話題にもなるんじゃない?
まあ、置いといて…。
 
さあ、憧れのバンコク!
(わたしは学生時代国際交流のサークルに所属しており、仲間から手頃で人気のバンコクの話ばかり聞かされ続けた)
実はバンコクは正式名称ではありません。
実際は以下。
 
クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット
 
舌をかみ切りそうな名称です。
天使の偉大なる都…と続くそうです。国王がそんな詩をよんだため、そうなったとか。
タイ人は最初だけをとり、「クルンテープ」と呼ぶそうです。
 
宿で重い荷物を投げ出し、ぬるいシャワーを浴び、いざ、目指すはお寺!
 
ベタですが、メジャーどこからいきましょ。
涅槃仏で知られるワット・ポーです。
 
バンコクの街は、めんどくさくできている。
高級デパートなどがある繁華街は、地下鉄の通る東側にあり、わが安宿もこちら側。
ですが、お寺や王宮など観光地が集中するのが、西側。こちらまで地下鉄は伸びていない。
歩くには遠い。アクセスはバスやタクシーとなる。
 
まあ、地下鉄を降りて、そこからバスやろと安易に考えていたが、これが甘かった。
 
地図で見ると、近いのだが、バンコク名物大渋滞でバスがいっこうに進まない。
かかって30分と思っていたのが、1時間。
南国には似合わない灰色の空の下をのろのろと車とバスが進む。
聞きしに勝るバンコクの渋滞はすごかった。
 
うとうとしていると、ようやくワット・ポーにたどり着いた。
お釈迦さんが寝転がっている涅槃仏があるお寺。
基本知識ですが、ワットは「お寺」をさします。
なぜかうれしかったのは、英語表記。「リクライニング・ブッダ」となっていた。
普通「ダイイング・ブッダ」だと思うのだが、このネーミングにはセンスを感じた。
はは~ん、死ににいくんじゃなくて、休んでるんだと。
 
ちょっとタイの仏像に関して先入観としては、「ど~だかなぁ」でした。
だって、全部金ぴか。日本みたいに古仏を愛でるみたいなとこがないわけです。
いくら信仰の対象といっても、違和感あるだろうなと思っていました。
違和感はありました。
しかし、同時に心奪われてしまいました。
 
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ワット・ポーの大涅槃仏。その長さ46メートル。高さ15メートル。
とにかくでかい。どうでかいかというと、建物の中にぎゅうぎゅうに存在していることもあるのですが、
すべてを視界にとらえることができない。
頭とか、胴体の一部とか、足裏。パーツパーツです。
 
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まず頭。
この頭だけでも結構な大きさ。長細く巨大なブッダのお顔を拝んむだけで、ありがたさがこみ上げてくる。
そして胴体。仏像のギリギリに建物があり、そこにまた柱が立っているため、
胴体もぶつ切りになる。
 
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インスタ映えする尊象だが、それの全景をおさえるのは至難の技。
 
衝撃的なのは足の裏。これを見せられて、足の裏と思うのは、タイ人だけじゃないか。
 
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螺鈿で描かれた小宇宙。これが仏像なんだろうか?
正直、どう感じたらいいのかわからない。
圧倒されたというか、宗教の持つすごさとは、このすべてをうも言わさず、わしづかみにするこの感覚なんだと思った。
現実的な話に戻ると、東大寺の大仏(座像)の高さが15メートル。
この横になっておられる大仏様が、いかにでかいかよくわかります。
 
しかも金ぴか!
仏像はこうでなくちゃ!
あらら、改心してしまった!
たぶん、おそらく、東南アジアで飲むコカ・コーラみたいなものだと思う。
東南アジアでだからこそ、うまい!
日本でこの金ぴかを見たら、「うわっ、成金趣味」と眉をひそめるだろう。
風土にあってるんだと思う。
しかも、写真取り放題!
太っ腹なリクライニング・ブッダ。
完敗です。タイにも息をのむ仏像がある。仏像というより、ブッダだな。信仰の対象だわ。
 
涅槃仏にも少し触れたい。
これって、タイを代表する仏像の形態だもんね。
日本ではどうしても「寝てる」=「御利益あるんかなぁ」という図式になるんでしょうが、
涅槃仏とはまさに、お釈迦様が輪廻の鎖から脱して、真の悟りに至る瞬間を表したものととらえられ、実にありがたい形態なのだそうです。
そういう論理で言えば、日本の座像のお釈迦さまなどは、まさに修行しているので、悟りへの近さで言えば、涅槃仏より遠いことになる。
これなどは、悟りを重視する小乗仏教の考え方が色濃く出ているのかもね。
 
そして、涅槃仏にもいろいろポーズがあるらしく、一般的にはワット・ポー式で手を枕にしているが、
中には仰向けで、両手を体の上に置き、本当に臨終しているかのようなポーズもあるという。
是非拝んでみたいものである。
 
日本はといえば、少数派ですが、有名なのは福岡県篠栗町・南蔵院の涅槃仏。
全長は41メートルと少し及ばないが、なにせこのお寺のご住職、宝くじで1億円以上あたっておられるという御仁。
巨大涅槃仏もそれを元手で建立したとか。パワースポットとして、地元では知られています。
そしてもう1つが、真如苑のご本尊。
真如苑とは、新興宗教にくくられる宗教団体で、運慶仏がサザビーのオークションに出された際、裏から手を回し、落札。
日本からの流出を防いだことで名をとどろかせました。
 
涅槃仏とは、奥が深~いお人のようで、タイで興味が沸いてきたわ!
 
そして、このお寺、あることでも有名である。
体をポキポキとされるやつ。
そうタイ式マッサージ。
そのタイ古式マッサージの総本山がこのお寺で、マッサージを受けられるだけでなく、授業も受けられる。
HPをみると、ここで修行して、日本に来る施術師も多いようだ。
タイ国はタイ古式マッサージやこのルーシー・ダットンをタイ独自の健康法として、売り出している。
だからここのマッサージ学校は、タイ国の教育省のお墨付きとパンフレットにある。
 
ただ、あの背骨が折れんばかりのマッサージが昔からタイにあったかというと、それはハテナらしい。
タイのマッサージは、王族たちを癒やすために、発展したらしく、そんな彼らを下僕がポキポキやるわけにはいかず、
なでるような優しいものだったという。
それがどういうわけか、ポキポキが受けたのか、よりアクロバティックなポキポキに変わり、現在の形になったそうです。
実際、ワット・ポーのマッサージの授業は、そこまでポキポキしないとのこと。
つまり、タイマッサージは、ポキポキされるという印象は後年できたものなんだとさ。
 
境内に、不思議なポーズをした彫像が場違いにひっそり置かれている。
 
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これが、ルーシー・ダットンといわれる健康体操の奥義である。
ヨガに比せられるが、目的が微妙に違う。
ヨガ自体が修行であるのに対して、ルーシー・ダットンは座禅など修行で疲れた体を癒やすための体操とされる。
昔は80ぐらいの数があったそうだが、今は24しかないのだとか。
難しいポーズだが、体の筋肉がストレッチされていきそ~。
 
 
確かに、バンコクでは道を歩いていると、マッサージ店にぶちあたるし、
日本でも「タイ式マッサージ」という看板も珍しいものではなくなっている。
 
境内のマッサージコーナーでは、タイ人のご老人や欧米人が、タイマッサージの順番待ち。
なんとも違和感を覚える光景だが…。
 
だが、お寺と医療は今の世の中ではミスマッチにみえるが、古来は僧侶は宗教だけでなく、医術をも手にしていた。
それがタイでは、今でも息づいている。
 
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いろいろな意味で、タイの寺でど肝を抜かれた。
 

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