織田信長も飲んだという酒がいよいよ…(2017年12月・滋賀県東近江市・百済寺)

百済寺をご存じか? 「くだらでら」ではない。「ひゃくさいじ」と呼ぶ。
大阪から京都を越えて、近江八幡から近江鉄道に揺られて、ガタゴト。八日市からさらにバスで約30分。そんな僻地に百済寺が、立つ。
山寺と侮るなかれ。庭園が見事で、先日上映された「関ヶ原」のロケ地にもなっている天台宗の古刹だ。そんな百済寺がいま、再び脚光を浴びている。
お酒の話だ。古文書によると、この寺では室町時代から、清酒が僧侶により製造されていたという。この種の酒を「僧坊酒」と呼ぶらしい。
都では「百済寺樽」は有名だったらしいが、時代が少し下った戦国時代、この寺に逗留した織田信長が、このお酒をたしなんだらしい。信長は、当時広大な寺領を誇った寺院に、朱印状を出し、土地を安堵し、保護したが、歴史の皮肉。敵対勢力と結んだ寺院に、信長がブチ切れて、全山を焼き討ちに。ホント信長は、延暦寺はじめ天台宗とそりが合わない。
そんな信長と浅からぬ縁がある百済寺で作られた「百済寺樽」を現代に復活させようというプランが、地元で着々と進んでいる。
クラウドファウンディングなどで得た資金をもとに、喜多酒造の協力をあおぎ、製造にこぎつけた。
試飲会は1月中旬。順次地元でも販売予定という。ただ本数は多くはないので、現代でも幻のお酒になるのかも。
 
 

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