元興寺を出て、少し南に下ると、「元興寺塔跡」という場所があるんじゃ。
ん、ここも元興寺なのかのう?
ん、ここも元興寺なのかのう?
結論から言えば、そういうことになるのじゃ。もともと元興寺は奈良時代では大寺中の大寺。東大寺、興福寺と肩を並べるぐらいの寺領を持っておった。興福寺などは藤原氏の加護があり、隆盛を保ったが、実質的な檀家を持たなかった元興寺は、その後に衰退の途をたどり、明治時代の廃仏毀釈のときに至っては、先のブログでも記したように、廃寺寸前までになったのじゃ。
「塔跡」とある。ほれ、ここの門をくぐった先に17個の礎石が残っておる。ここには五重塔があったのじゃ。しかもその高さは57メートルという。日本一の塔である東寺の五重塔が55メートル弱というから、残っていれば日本最高のはずじゃった。ちなみに2番目は興福寺の50メートル。よって、この大塔が現存していれば、奈良の風景もまた違ったものになっておったじゃろうに。
惜しくも1859年の火災で焼失した。いまは礎石でその姿を忍ぶしかない。
閑静な境内にはいろいろなものが残っておる。ほれ、仏足石もひっそりと…。
閑静な境内にはいろいろなものが残っておる。ほれ、仏足石もひっそりと…。
諸行無常の響きを感じるのう。