死者と生者の「苦」に向き合わずは寺に非ず(2009年7月)

よう、空石!

暑いなぁ。蒸し暑い。既に学生諸君は夏休み。夏休みいうたら、もうゲニウスロキにマミレタ長時間トークなど、ええ思い出しかないので、社会人になろうが誰になろうが、いつでも心躍るわ。なんかよ、四国お遍路10箇所ぐらい、むろん徒歩またはちゃりで、2泊3日ぐらいでやりたいよな。道中のトークも楽しむ感じで。

で、8月・9月で言うたら、いつに東京でいつに大阪で暇を作成可能そうか?ざっくりとした予定がもし既にあれば教示を。

前のGW中に、オヤジと午前早くから午後早うまで使い2から5番札所まで歩き遍路したが、とても充実したわ。オヤジも、「この年でセガレと話しながら歩き遍路ってのは中々できへんことや」と喜んでたがな。これが真友らとって考えるだけで鼻血もんやで。道中の接待も手厚いしな。四国をまじで見直すわ。というか、弘法大師すげえわ。やはり俺の16歳以来のヒーローや。

極めて為になる返答を多謝。全面的に首肯するわ。従来の寺のそっくり返った態度には、悲しみすら感じるよな。「まだそんなこと言うてるの?今後は『葬式仏教』すら檀家減少でやばいというのに?」と。本当に、「苦」に向き合っていないわな、釈尊に喝を入れて欲しいわ。

信州のほんものの仏教者、高橋僧侶のことは既に知ってると思う。チェルノブイリからタイのHIVの子友達に始まり、日本の引き篭もりの若者や地域の老人らにまで「苦しみに向き合う」態度を徹底的に実践する御仁や。こないだも朝日新聞のBe欄かなんかに出てたが、読んで感動して思わず泣いたわ。「ここに菩薩が息してるわ」とな。

その人の生き方を少し読んだだけで、こちらの襟が正される。それがほんものの僧侶ちゃうのけ?それが仏教のロールモデルやろ。それが、悟りへ向かいながら己の悟りを後回しにする、大乗の菩薩の姿ちゃうのけ?腹黒な俺は、青臭いこと言うつもりは一切無いが、とにかくだれとる。坊さんが一番、三毒の執着強いのでは?と真剣に心配したるわ。

上田のオヤジやないけど、「円瓢くん、もうこの際、仏教は日本で滅びても、日本の外で凄く貢献しているから、ええんちゃうかという気がしてるのよ、私はね。ちょっとチベット密教の状況に似てるよね…。もっとも、日本にとっては『中国』の存在はなく、勝手にてめえで滅びてるだけですが。むろんできるだけ立て直そうとするよ、私も。でも、我々のような外部が騒いでも、内部が変わらんかったらね…。」という感傷が、とても理解できる。実際、欧米諸国での今の仏教の貢献は凄いからな。本当の「世界宗教」なら、それでもええかも知れない、と俺も思う。

: ) I, 円瓢, received and read your message at 01:18 09/7/18 土. Thank you very much, M/M 空石さん. Part of your message is quoted with : > below:

: >「もう今はやってません」とつっけんどんな返事のみ。
: >俺が自殺を考えて、わらをもすがる思いで電話してたらどうす
: >んねん。
: >まあ、結構辺鄙なところなので、「人が来ないからやめた」と
: >かそんな理由なのだろう。

空石の呆れた顔が目に浮かぶわ。やってないってので落第、つっけんどんな返事ってので、もう切腹もんやわ。どんな事情が寺にあるのか知らんけど、「苦」ってのをさっぱり分かってないな。ほんまに、「自殺を考えての電話」やったらどうするねんな?「そんなの来ませんよ」ともし認識してるなら、それ自体、既に「負け宣言」ちゃうの?「いまどき寺に人生相談なんて来ないですよ」ってな。阿呆ですわ。

以前にも紹介した小池龍之介の「家出サイト」はかなりええで。まだ若い彼はいきなり社会の、それこそpublicなissuesとおおっぴらに向き合いはしないが、仏教の根幹である「四法印」をきっちりと理解して、その上で、

「仏『教』ではなく仏『道』、よく生きる精神の『お稽古事』」

と在家における仏教修行の大きな意味を規定し、しっかりと東京の人間たちを導き影響を与えている。彼のサイト「月読寺」と検索して、「相談コーナー」みたいなところへ是非!物凄い文章量と文章力で、しっかりと日々の凡夫の悩みに、ストレートなまでの仏道スタイルで丁寧に答えている。2時間も読んでしまい、かなり感心したので、Amazonで3冊本を買ったちゅう話しや。独特の節回しやが、極めて彼流に仏教貢献をしているお坊さんや。山口の浄土真宗の寺の息子やが、東大出た後にすぐ独自スタイルの活動を始め、上座部のヴィパサーナ瞑想に大きな影響を受けての座禅を説いている。近々会いに行きたいと思う。

: >事実を確かめるべく、実際行ってみたのだが

ここが空石らしさで、俺が尊敬するところでもある。で、ここがまた、「実際に体験せずして、仏法も仏も信じるなや!」と、教祖自身が(…狂ってるわな)喝破する仏教が持つ「実践主義」の、面目躍如たるところ。お主は立派な在家修行者よ。そこらの坊主よりよっぽどな。

: >これでは、自殺志望者だけでなく、寺キチも困るわのう。

ほんまにな。どっちにもどっちつかず。せめて寺きちを満足させるぐらいの豪華絢爛さやったら、まだそっち方面での存在意義は認めるものの。

: >まあ巷間言われるように、ほんまに経営が苦しくて、自分の城
: >を守ることだけにあくせくしとるんかね。
: >それって、猛烈に空しい。

激しく同意する。それやったら、そこらへんの「迷妄まみれの我利我利亡者的経営者」と何の違いがあるのか?「無我」を説く道のメッセンジャーが、「自分の城」とは片腹痛いも程があるよな。で、特に対価に見合うサービスしてないとなると、それって、ただの「詐欺」よな。刑法犯にせんでもええから、せめて俺らと同じように法人事業税に法人所得税、そして法人市民税払ってもらおか。

: >去年かな。うちの親父が、夭折した祖母のための家に仏壇をつくった。
: >これって、知らなかったけど、親父の悲願で、
: >知らない親戚を集めて、立派な法要まで営んだ。
: >珍しく、わんわん泣いて、ありがとうって言うとった。

非常にええ話しや。大拙やないけど、日本的霊性が持つ「寺≒家」という感覚は、特に俺らの両親の世代、しかも田舎のメンタリティーを保持する人々には極めて当たり前の感覚やと思う。その感覚に寄り添うことも、「苦を取り除く」ことと同意になるからな。それはオヤジさん、ええ善行を積んだわ。

「空」からみれば「生死」は髪の毛1本入る隙も無いほどに「不即不離」なのだから、死者への供養は生者への供養となる。それが分かった上での墓守であり、葬式であるはず。ここが片手落ちになったら、「二元論を理解しないデカルト」みたいなもんで、目も当てられない。創価学会を批判する立場にはいないで、坊さんたちには。

「阿修羅展」はあれで大いに結構。仏像もまた法を説く方便なり。が、そこで、もし興福寺が「見たか!俺らは貢献しとるで!」と思っていたら、その傲慢さで無間地獄行きや。上の龍之介も言うように、「最近の日本は別に『仏教ブーム』じゃありません、『日本教』または『日本文化』ブームなだけですよ」が正解やろうね。「寺に救われた」という自殺志願者が1万人を越えたとき、そこがほんものの仏教ブームやろう。

語りたいね、仏教と仏道をまた。シェフィールドにいたときに、相棒の中国系マレーシア人医師とたくさん仏教や宗教について語り合ったので、「世界の中の仏教」の余韻が俺の中にまだ残っているのやと思う。近々、またお主と数年ぶりのディアロゴスができるように指導本尊である文殊菩薩に祈っとくわ。

ではな!合掌!

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