生者を励まし、死者を弔うのが寺ちゃうんけ?(2009年7月)

ほいよ、円瓢。

新興宗教のほうが、民衆に近いのでは、とは近頃拙者も感じる。

広島の三原に仏●寺という寺があるのだが、ここは広島では珍しい臨済宗。HPを見ると、1泊の土曜参禅があるというので、電話をかけたのだが、「もう今はやってません」とつっけんどんな返事のみ。俺が自殺を考えて、わらをもすがる思いで電話してたらどうすんねん!?まあ、結構辺鄙なところなので、「人が来ないからやめた」とかそんな理由なのだろうが。

事実を確かめるべく、実際行ってみたのだが、拍子抜けしたわ。広島一の禅宗の寺という触れ込みの割には実にこざっぱりしておった。お寺には悪いが、これで観光寺というなら、ハッタリも過ぎるというもの。秋になれば、もみじの名所となるらしいが、それにもまして、お坊さんが一人もいないのだ。これでは、自殺志望者だけでなく、寺キチも困るわのう。仕方なく、寺を散策して、三原駅で名物の「たこせんべい」と「たこもみじまんじゅう」を食らってきた次第。

これは端的な例としても、おぬしの言うとおり、日本の伝統的仏寺は、開かれてはないよな。現に、普通に生活してたら、お坊さんの連れなんてできんしな。やっこさんもらも「正月と盆だけ、愛想よくしとこ」ってとこか。

照空君のことはその仕事となりを通じてよく理解できるけど、ほかの坊さんたちは何を考えて仕事してるんやろな。まあ巷間言われるように、ほんまに経営が苦しくて、自分の城を守ることだけにあくせくしとるんかね。それって、猛烈に空しいで。

寺ってほんまなんやねんとも思う。このブログのような考えもありだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/ragaraja/20090626/1245978598
我田引水すると、寺は墓を守るところでもある。

去年かな。うちの親父が、夭折した祖母のための家に仏壇をつくった。これって、知らなかったけど、親父の悲願で、知らない親戚を集めて、立派な法要まで営んだ。珍しく、わんわん泣いて、ありがとうって言うとった。

寺ってそんな場所でなければならないとも思う。
ああ、無性に寺&墓参りがしたくなったわ。

空石

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