太郎坊から除夜の鐘とカツヤで真っ暗闇

だが、まだわれわれの年越しは終わらない!

それどころか、ここからが本番である。…既にちょっと疲れているが、気のせいだ。
 
まず、初詣には神社を目指すことにした。
勝負の神様として有名な「太郎坊宮」である。
またもや、八日市駅でガチャ電(近江鉄道の愛称)を待つ。
1日切符を買っているので妙に気持ちが大きいぜ!
 
おや?よく見ると、駅名表示のローマ字が「YO KAICHI」とある。
おそらく間に「H」が入っていたのであろう。確かに、英語風であれば「H」は不要かも知れん。
で、それを誰かに指摘され、または勝手に「H」が削り取られたのだ。
それが、田舎まちには少し不似合いな、ラップ調の「ヨー、嘉一!」に見えてしまう。
YO!YO!Kaichi!

 

tarobo yo ka ichi

 

さて、駅舎越しには今日の役目を終えて停車する車両が休んでいた。
その車体には、何のセンスもなくただ大書きされた「特定健診」を啓蒙するペイントが!
 
「こ、これはひどいな…。」
思わず円飄がもらした。
 
まったく同感である。検診はよいのだが、どうせペイントするなら、先ほどののりを使って、「YO!検診いこうぜYO!」みたいな感じでポップにやったらいかがかYO!?
 
行きは気付かなかったのだが、人の少ない車両に乗り込むといろいろと見えてくるものがある。
例えば、シートに目を向けると、「ゆるキャラ電車」とうたっておる。すごいな、「ゆるキャラ」を自称するか。
 
その2体のキャラは、「いしだみつにゃん&しまさこにゃん」である。
え~…。ちょっ、え~。
 
tarobo jaaku
 
かわいい…とはならんわな、これ。
いやね、石田三成と島左近を中傷する気持ちは毛頭ない。むしろよく頑張った。
だが、感想は我ら2人で一致して、「なにこの邪悪なひこにゃん!?」であった。
もうちょっと、せめて近江鉄道のマスコットキャラぐらいのかわいさを持たせることはできなかったんか?
 
この悪口がにゃんどもに聞こえたのか、降車時に、記念に欲しいと狙っていた珍しい硬券が没収された。
(「もらえますか?」と駅員に問うと、「すみませんが…」と返された。まぁ、当たり前だがな。)
 

さて。太郎坊宮駅からはまっすぐな一本道で、お堂に向かう。
辺りに人の歩く気配はない。時々、車がすぱーんと追い抜くだけである。
さすがに円飄も「誰もおらんのやろか…」と怪しんだことだろう。実際、周りはほぼ真っ暗である。
 
まぁ、人の多さがありがたさと比例する訳でもないので、ズンズン進み、石段を登るとすぐお寺の本堂に出た。
神仏習合の名残りなのであろう。その名を成願寺という。小さな、太郎坊の玄関口だ。
 
tarobo to the joya
 
みなは本宮をまっすぐ目指して寺は素通りするのだが、元来は「寺派」の我々。好んで横道にそれた。
そしてご住職にごあいさつをば。すると…。
 
「今なら一番鐘をつけますよ!」と寺守の方が言われる。
 
ほほう!ただ、そこはわれらも見識のある大人である。
寺には不法侵入(前の記事)?しても、村で守られる寺の年越しの一番鐘をつくわけにはいかぬ。
地元の方が来るのを待って、我々「アウトサイダー」は、2番と3番の紙切れをそれぞれ頂いた。
 
晴れて地元のおじさんの次に並び、いざ除夜の鐘が始まる。
その音がなんともいえぬ、気の抜けたというか予想をうらぎるものだった。
 
「パシャン!」「ピシャン!」
 
そんな音に聞こえた。え、えーーーーっ!?
本来、鐘がそんな音など出さんのだが、だからこそ、この音がしたことで「えっ!」と驚いた。
ふと気がつくと、我々の後ろにもわずかながらの列ができ初めていた。上に向かう順番待ちである。
ローカル人々には、へしゃげた鐘の音など関係ないのだ。皆さんすぐに列に並ぶ。
でも、こういう寺、地元の方に大事にされ続けてほしいと思う。
 

さて、本題の太郎坊である。これがますます中々の混雑具合。えらい人気である。
進むにつれて、老若男女、歩みが遅くなってゆく。
 
「もしや…?」
 
そのもしやであった。石段の途中で完全に歩みが止まってしまったのだ。
それぐらい、すごい人だったのである。こんな田舎にこんなに人が来るのか。
ふと見ると、参拝客はみな山の中腹の駐車場からこの参道に入っていたのだった。
 
tarobo joya crowded
 
これは全く予期していなかった。そのうちカウントダウンが始まった。
ちょ、ちょっ、まっ!…いやいや、それもまた乙なり…。
 
「あけましておめでとう!」「おめでとう!」」
 
こうして2018年は、近江の皆さんと共に、窮屈な石段の途中から始まった。
再び行列が進み、奇岩が立ち並ぶ中で名所の「夫婦岩」に到着した。
その隙間からなんとも秀麗な月が…。これにはぞくりとした。
 
tarobo moon
 
レスリングの吉田沙保里など、五輪選手の祈願でも有名な太郎次郎坊だが、夫婦岩などの自然造形の威容から、近年はパワースポットとしても注目されるらしい。これには大いに納得できた。やはり、我々日本人の記憶の底には、大自然に畏怖を感じそれを神格化する気持ちがあるのだろう。いつもはそうし畏怖の念が小さいだろうが、新年というこんなタイミングでこそ、せめて思い出してもらえるのはよい。
 
新たな年を迎え、我々寺社オタクは、気持ちも新たに意気揚々と下山したのだ。
といっても、駐車場までだったがな…。
 
お守りでも…と柄にもなく物色していたら、明朝体の「克」の文字が目に飛び込んできた!
ここでもまた会うのか。会ってしまうのか…カツヤ!…何という因縁か!?
 

なんの話なのかと思われているだろう。
ここは詳細な説明が必要だろうな。
 
そう。「克」とはあの伝説の人気DJ、「小林克也」の「克」である!!
 
40代の方にはいわずと知れた大きな存在。我々が生まれる前から、DJとしてかっちょいい英語なまり?の日本語で洋楽を紹介していた超かっこいいヒーローである。今も、かの伝説の深夜番組「ベストヒットUSA」を、BSチャンネルで放映しているぜ。高校時代は親しみを込めて「カツヤ」とあえて呼ばせて頂いていた。
 
だが、その伝説も、もう77歳だぜ。彼こそ、生きるレジェンドである。
 
おや?思い入れが少し強すぎたかな?引いてます、読者の皆さん?
番組がBSに変わり、我々も少しご無沙汰になっていた。
(空石家はBSに加入しておらず、円飄家にはテレビすらないゆえ…。)
 
だが、近年お目にかかることが多くなったのだ。
それも実は、この地獄ツアーのおかげなのである!!
 
地獄ツアーは泊まりで挙行することが常であるため、このときばかりはホテルを利用する事が多い。
そして、われらはここぞとばかり、テレビをつけて、CMやTV番組を中心にディスりまくるのだ!
そしてなぜか、BSでは「ベストヒットUSA」が、本当に、偶然にも、常に放映されているのである!
(例えばこちらを参照
 
「いつも見るよなぁ…」と2人で話したものである。
 
そして、今年ばかりは、年末の「ベストヒットUSA」の時間帯には山寺にいるので、残念ながらカツヤにお会いすることはできないだろう。って言うか、そもそも毎年末にカツヤを見ている我々っていったい…?という状態であったのだ。
 
もはや忘れていたカツヤの存在だったのだが、なんと、今回は!「お守り」に姿を変えてまで我々を追いかけるというこのパワーやいかに!?これはちょっと、すさまじい執念ぞ、カツヤ!すげえ!すげえよ、あんた!お守り売り場で急に興奮するおっさん2人の姿に、宮司さんと巫女さんがまじでドン引きであるが、生暖かい目で「どれにされますか?」と優れた忍耐力を発揮されていた。さすが。
 
tarobo victory ya
 
繰り返すけど、われらは本当に「克」が「カツヤ」に思えたのだ。ホンマやて。ホンマやて!!
 
おっと、新年早々ホットになってしまいました。
この勢いをかって、次は寺参りじゃ!
 

太郎坊宮は山中に位置するのだが、その山伝いには「瓦屋禅寺」という変わった名前の寺が存在する。
聖徳太子が四天王寺を作る際に、その瓦を焼いていたという謂われのある古寺である。
 
ここでグーグルマップなるものを見る。
歩いてもなんとかたどり着けそうな距離である。(だいたいそれが勘違いのはじまり。毎回。)
 
駐車場から北へ道をとると、合点した。
道沿いには、車がずらりと連なっていた。
なるほど、ここらの人はガチャ電ではなく、車移動なのだな。
そりゃ、近江鉄道も苦しいわなぁ。(何度も倒産の憂き目に遭っております。)
 
ただ、この道も太郎坊に行く参拝客のためだけにあるものらしい。
数分歩くと、車がなくなってしまった。そして少し進むと、警備員が1人だけ立っていた。
 
おそらく、標識のない分岐点なので、ライトで太郎坊への案内を仰せつかまつっているのであろう。
ただ、舗装されている道とはいえ、真の闇である。繰り返す。明かりは一切ない。人など誰も来ない。
警備員さんのいきなりの登場に我々も驚いたが、彼にしてみれば、化け物でも見る心地だったと思われる!
 
わたしなど、こんなところに数分も1人でいられないぞ。
なにせ、2人で歩いていてもかなり恐怖を感じる暗さなのである。真っ暗闇ですから!
我々はそこまで人が悪くないので、つとめて明るく「ご苦労さま」とあいさつして闇の道を進んだ。
 
「夜は暗い」などと一般に云うが、そんな人は「真の闇」を知らないのであろう。
光も、音も、臭いも、気配もない山道がどれほど恐ろしいか。
…そのくせして、妙に気配だけは感じられるからさらに恐ろしい!
 
 
 
前方数メートルも危ういので、携帯のライトを使おうと思い立ったのだが、
それぞれのスマホの残バッテリーは44%と26%。電話が使えなくなることは避けたいので、ライトは止めた。
(実は、ライトで道を照らすとそれはそれで怖い。なにか突然出てきそうな気がするので…。)
われわれは声だけでも出していこうと、眠さも忘れて、意味のない話を続けることにした。
 
「…遭難かもな…」
 
何度、我々は地獄巡りの中でこう思ったことか…。
人間は、極限の危険にさらされて初めて肝が据わるのかも知れない。
46にもなって、進歩せんなぁとも思い、また、酔狂でもあるなぁと思う。
 
暗闇を急ぎながらも会話は忘れずに突き進んだ。
まぁ、寺までの辛抱でございます。
 
2人ともそう考えたのだが、実に甘かった。
いや、それこそが納地獄の醍醐味とも言えるのだがね!

そうこうするうちに、道が開けてきたので「いよいよか」と思ったが、明かりはまだ見えず。
闇の中をさらに進むと、突如として柵が現われた。よく見ると、新年の飾りがかかっていた。
 
ここが瓦屋禅寺か…。
そして、人っ子一人おられない、と…。
 
どこのお寺でも新年ばかりは、年越しから開いていると信じていたが、例外もあったのだ。
ここまで来て…とは思ったが、なぜか柵の右手は道になっていて、いわゆる門ではなかった。
 
つまり、寺には入れるのだ。そう。寺には入れるのです。
 
新年早々の不法侵入?(断っておきますが、誰がどう見ても進めるようになっている)である。
ただ、闇の寺はまじで怖い。というか、言い方は悪いけど、気味が悪い。
 
英国作家コンラッドの名作に「闇の奥」という小説があった。
高校時代に、英語の教材だったのだが、英語が嫌いで作品自体が嫌いになった。
だが「闇の奥」とはいいタイトルだとは思った。
 
船乗りが、アフリカ奥地で活動する伝説の男を追う。
見つけた男は「恐怖、恐怖…」と口にして絶命する…話だったように思う。
 
フランシス・コッポラーが舞台をベトナム戦争に変えて映画化。「地獄の黙示録」である。
それが面白かったので、日本語の訳を読んだら、さらに面白かったと記憶している。
ちなみに、円瓢が大ファンである俳優Martin Sheenの出世作がこれ。
 
それにしても、知らん小説をいきなり英語で読ませるなっての!
 
闇の暗さが怖いのではなく、その奥から口を開く得体の知れない「何か」への恐怖。
漆黒の闇にある寺は、まさにこのイメージだった。気配。音がないのに気配がある。
別の存在がうごめいているような感覚なのだ…。
 
tarobo darkness
 
絶体絶命のピンチだったので、ここだけは携帯のライトを頼りに進んだ。
こういうときは、普段から視力が弱く(0.01あるかないか)、視覚に頼らない(!?)円飄が心強い。
1人だったら来てないわ、こんなところ!金積まれても!
 
躓きそうになりながらも石段を登り、本堂と思われるところで新年の誓いを立てた。
仰ぎ見れば、かすかに北斗七星の位置が分かる。
こんなに暗ければ、乾燥した空気の中、晴れていればもっと星空は美しかったであろう。
 
そして参拝を終えると、さあて、ここからが本当の下山である。
来た道を帰る勇気はないので…とは言っても不安な一本道しか他に選択肢はなく、下った。
しばらく歩くと、ようやく車のヘッドライトが光った。背後から。

これで「助かった!」と我々は思った。が、反対の立場から見れば、運転手には「おい、いま何かいた!?」である。時間は午前2時ごろ。丑三つどきというやつか。
 
先ほどの警備員ではないが、運転者諸君もさぞや肝を冷やしたと思われる。
この場を借りて、謹んでお詫び申し上げる。
 
なんとか下山完了。一気に気持ちがでかくなる。明かりが見えれば現金なもの。
 
「今回もいい地獄であった」と娑婆の空気を堪能した。
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